saladday coffee
台東区台東。秋葉原からも、浅草橋からも少し歩くこの場所に突然現れた珈琲屋「saladday coffee」。外に向けられた窓から道行く人々に声をかけたり挨拶をする宮村さんを見たのがこの店との出会いでした。
開店から1年。宮村さんの作った店と、これから作っていくものの話をお伺いしました。
インタビュー:しば田ゆき
写真:小池りか
saladday coffeeの日常
ーお店のデザインが素敵ですよね。内装のデザインはもともとこのイメージでやったんですか?
入り口の形は外と中でどちらからも注文できる形って決めていたし、木目調っていうのも決めていましたね。本当は最初は日本の蔵みたいにしたかったんですよ。蕪木さん※1みたいな、古材とかを使ってずっしりした感じにしたくて。
でもマシン※2を入れるとどうしてもインダストリーな感じが出る。それでこっちに寄っていきましたね。
ただもう1年くらい経つので自分だけのものじゃなくなっている感じがあって。不思議なもので印象が変わります。最初は色々「こうしたかったな」とか思っていましたが、人から良いって言われたり色々意見もらうともう自分だけのものじゃないような気がして、不思議な感じです。
※1…蕪木:台東区三筋にある喫茶店。
※2…マシン:salad day coffeeさんにある焙煎機とエスプレッソマシンのこと。
ー自分だけのものじゃないっていうのはお客さんとか?
全員のものみたいな。笑
自分が気付かないことを言ってくれたりする人もいるじゃないですか。それに納得したり。
ーお客さんに来て使ってもらって価値がついていく、みたいなことなんですかね。
そういうのは思いますね。自分の部屋だったら違いますが、人が来るお店なので。これからも変わっていくんじゃないですかね。
ーつまりそれは設えの部分だけではなくということでしょうか?
そうですね。毎日店は変わっている、くらいの気持ちです。ずっとこう、川が流れてるようなイメージを持っています。
僕は結構その日その日って感じでやっているのが強いからかもしれないですね。あまり計画を立ててやるよりは一日一日の積み重ねだと思うんです。
それで飽きが来なければ1番いい。飽きるかどうかって単純に自分のバイオリズムとかもあるじゃないですか。乗らない時もあるし。それもすべて込みで、と思っています。
そういうこともあるし、ていうかそれで当たり前だよなぁって。人間なんだし。
ー人間だもの。
それくらい思ってます。
ー常連さんが多いですよね。この場所にした理由はなんなのでしょうか。
あんまり大きな理由はなくて。ここが空いてたからです。
ーいろんな地域を見ていましたか?
自分が住んでいるので東京の東側がいいと思っていました。最初は森下を見ていましたね。
以前お世話になった勤務先のSOL’S COFFEEさんが蔵前だったのもあり、川(隅田川)を越えるのがいいなって思っていたんですよ。でも森下はあまりなくて、本所とか浅草の裏側とか谷根千とかまでみてました。
※3.SOL’S COFFEE…台東区にある焙煎コーヒー屋。宮村さんが働いていた店。
ー駅から遠いのは気にならなかったんですか?
ここはそれが1番気になって悩みましたよ。この物件を見ている時押上にもいい物件1つがあって、そことすごい悩みました。浅草通り沿いで、スカイツリー近辺の交差点の一角で。
この物件は申込み1番手になってて、押上の方の物件も並行して進めてみたかったんです。でも押上の方は難しそうで、こっちは決めなきゃいけないタイミングになって。
その時に考えたのは「マイペースにやれるかどうか」っていうのを考えました。
押上の方だとちょっと自分のペースでやれない気がするなっって。
ー街的に?
街的に。ここはとにかく分からないことの方が多いから、自分のペースでやれるのはこっちかなって。
このへんは昔下谷区って言われてたんですね。下谷区二長町っていって、
市村座という歌舞伎劇場があったんですよ。ただ火事でそれが燃えちゃって※4一瞬で廃れちゃった。二長町にはそういう歴史があったみたいです。
そのあとこの辺りはミシン関係の問屋さんが多いんですよ。
ここも昔2階にミシンが格納してあったみたいで。それはそこにリフトがついてたらしいです。名残があるんですよ。で、蔵前橋通りを越えると宝石関係の問屋さんが多くて。
※4.市村座…台東区にあった歌舞伎劇場、市村座は1893年に消失したそうです。
ー馬喰町は繊維ですよね。
柳橋は昔遊郭だったらしいです。昔は船で柳橋まであがってきたんですよ。それででちょっとごはん食べて遊んで、そこから川をあがっていって吉原まで行くって流れがあったらしいですよ。
その話は89歳のおばあちゃんに聞かせてもらいました。
ー89歳のおばあちゃん!なにを飲むんですか?
エチオピアのアリチャ飲んでました。豆も買っていきました。
ーかっこいいおばあちゃんですね。
はい。ああいうのはいいなぁって思います。いろいろ聞かせてもらいたいなって思っちゃう。
いろんな話を聞きますよ。もうひとり90歳のおばあちゃんがいて、その人は昔小島で喫茶店やってたんですよ。萩本欽一さんが住んでたらしいですね。萩本さんが中高生の頃はお店に来てたとか話聞きました。
ー広い世代の人が来るのいいですね。
そうですね。逆に大家さんのお孫さんが小学校4年生なんですが毎日来てくれて。瓶に4種類豆をいれて窓際に並べておくんですけど、それでずっとクイズをしていたんです。
エチオピア、コロンビア、インドネシア、ブラジルの豆をそれぞれ「くろい」「しわしわ」「おおきい」「ふつうの子」って言って見せて、シャッフルして「元に戻してみ」って言って。
最近完全に覚えちゃって。「違うやつないの?」って言われるようになって、じゃあ次はアルファベットの勉強しようって。瓶の裏にアルファベット書いてるんですよ。
エチオピアだったら「ETH」だからら「イーティーエイチ」とか。「これ読んでみ?」っていって「イーティー、あーこれわかんない」みたいになるから、じゃあこれは「エイチ」だから明日もう一回やろうって言ってやってるんですよ。めちゃくちゃかわいいです。
友達と来てくれたりする。
ー駄菓子屋さん行くみたいな感覚で来るんですかね?
そう、だから僕飴とか出したいんですよね。子供はコーヒー飲めないから。
ーいいですね。出して欲しい。
20代で経験した挫折からの独立
ーいつから独立しようと思っていたんですか?
珈琲やりだしたくらいのころからもう動いてたんじゃないですかね。
ー珈琲をやる前は「独立しよう」とは思っていなかったんですか?
思ってなかったですね。地元にいて、「普通に働かないとな」って思っていました。地元の企業で働いて、35年ローンで家を買って、みたいな。それは別に若くして思っていたことはないんですが、なんかもうそうなんなきゃだめなんだなって。
ーそういうタイミングがあった?
僕、26歳の時に挫折して田舎に帰ってるんです。
そこから5,6年はリーマンショックの影響もあって、結構燻ってたんですよね。その中で飲食に流れていって、地元の店でドリップコーヒーをいれたのが珈琲に触れた最初です。それから家で練習するようになって。
その時もう30歳くらいで焦っていたんで、「ちゃんとしないとな」と思ってて。ただそのカフェもいろんなコンテンツがありましたが、そこで店長になっても「スペシャリストにはなれない」と思いました。なにかひとつに特化しないといけないと思ったところで珈琲が出てきたので、そういうタイミングもありましたね。
上流の工程にいけるかもっていう期待がありました。要は豆を焙煎するところまでやれるのかなって。バリスタになりたいとは思わなかったんですよね。焙煎したいってすぐ思ったので。
ーどうしてですか?
上流の工程に行きたいっていう志向が強かったんですよ。結局どこかで行かなきゃいけないだろうなと思っていて。それが大体8年くらい前の話です。
ー2012年くらい。まだスペシャルティコーヒー盛り上がる前ですよね。
そうですね。それから焙煎をやりたくて富山県中の自家焙煎店ローラー作戦したんですけど、なかなか雇ってもらえるところがなくて。
ー松本もそうだったなぁ。家族経営の小さな焙煎屋、みたいなところしかなかった。
(松本:インタビュアーが当時住んでいた場所)
すごくわかります。ハローワークに行って、そこにある求人でも無理でしたね。女性しか採用していなかったり。
ーあるところにはまだきっとありますよね、そういうの。
それで珈琲屋を探していく中で、いわゆるバッハグループのお店にたどりついたんですよ。そこの人がバッハ※5のこと教えてくれて。お金を払えば焙煎セミナー受けられるよって。それから東京に通うようになりました。
※5.バッハ:1968年に東京都台東区で創業した老舗珈琲屋。
ーなるほど。その後はバッハさんに開業支援してもらう※6わけではないんですか?
※6.開業支援:バッハさんでは珈琲屋の開業支援をしています。
いえ、その頃からようやく県外に目が向くようになったんです。
おとなり石川県の金沢市も結構珈琲屋さんが多いので、金沢か、昔いた東京も視野に入れようと思い始めた頃で。
バッハさんに行きながら東京の珈琲屋も見るような意識になってきたんですよ。
それでちょうどその頃に出版されたBRUTUSの青いやつ※7を持って歩き回りました。
それで衝撃を受ましたし、ポールバセットのエスプレッソを飲んでびっくりしましたね。ブルーボトルも並びましたし。
当時深煎りの方が好きだったんですよ。あまり浅煎りを飲む機会も少なくて。それで東京の珈琲屋に入ろうって決めました。
※7.BRUTUSの青いやつ:2013年に出版された『BRUTUS おいしいコーヒーの進化論』を指す。
ーひとまずはどこかで働く、と。
バッハさんの開業支援を受けるかもしれないしそれはまだ分からないけれど、その前に業務フローで焙煎やらないとだめだっていうのは強く思ったんですよね。それで東京の珈琲屋さんに入ろうとして、何個か受けましたけど、なかなか受からないですよね。
やっと築地にある「ライブコーヒー」っていう珈琲屋に受かって、築地にも通いやすいってことでその足で浅草橋に部屋を決めました。
バッハさんのセミナー通いながらライブコーヒーさんで仕事するっていう感じで。
ライブコーヒーさんではバッハさんで勉強していることと全然違うことを言われるし、今思うと流行りじゃないことをたたきこんでもらいました。「ミルクと砂糖は入れるもんだ」っていう店だったんで。
あとは千葉の八千代で大量に焙煎した豆を売るっていうことをやっていました。それはコモディティ※8でしたけどね。
※8.コモディティコーヒー:流通上スペシャルティコーヒーと違う経路を持つコーヒーを指す。
ーそういうお店で働くのはやきもきしたりしましたか?「こういうんじゃない!」みたいな?
思いました。やっぱりスペシャルティのお店で働きたいっていうのはあったので。
だから掛け持ちをしてたんですよ。15:30にライブコーヒーの仕事が終わったあと、西麻布にあるGIESEN※9を置いているカフェで夕方から23時,24時まで。結構ハードワークでした。当時は焙煎したくてしかたなかったんで苦ではなかったんですけど、一向に焙煎作業へ向かわせてもらえる兆しが見えなかったので結局辞めました。その頃はそんな感じでじたばたしていましたね。その一方で浅煎りのコーヒーも飲むようになって、わかんなくなってきて。
※9.GIESEN (ギーセン):オランダ製の焙煎機。
ーじたばた期ですね。
当時母が父を訪ねて富山から来たことがあって、父がいないときに母とごはん食べに行ったことがあったんですよ。
その帰りに小道に入ったらそこにSOL’S COFFEEがあって。
その足で入ったんですよね。エチオピアのアリチャがあって、すぐそれを頼みました。飲んだらハンドピック※10してる感じがすごくして。しかも深煎りだし。「あ、俺やっぱ深煎り好きだな」と思って。これがきっかけで、ここで勉強しようっていうスイッチが入っちゃいました。そこから3ヶ月はお客さんとして通って、それで求人が出たんですよね。
※10.ハンドピック:珈琲豆に含まれる欠点豆(良くない豆)などを手で取り除く作業。
ーすごいタイミング。焙煎の求人だったんですか?
そうですね。焙煎もできる人みたいな感じでした。結構タイミングが良かったですね。
ーじゃあ最初からSOL’S COFFEEさんに惚れ込んで入ったってことですね。
エチオピアアリチャがきっかけですね。だからうちの店でもアリチャの深煎りはやり続けています。時々若い珈琲好きの人とかに、「アリチャこんなに焼いていいんですか?」とか言われたりしますけどね。
ーじたばたといっていましたが、その時にできることを考えて常に動いているという感じですね。
なんとかして抜け出したかったんです。人生このまま終わってしまうって感じになってたんで。今にして思うとそんなことはないんですけどね。
ーSOL’S COFFEEさんではどのくらい働かれたんですか?
3年弱くらいです。
ーそこでなにを学びましたか?
焙煎と抽出の味のベースの部分はずっとあります。
レシピはまったく一緒にはしてないんですよ。でも逆にいうとそこにしかベースがないというか、そこに惚れ込んでやっていたので、自然とそうなっていきましたね。あんまり他に寄り道するきっかけもなかったし。
ーバッハさんは?
当時のSOL’S COFFEEさんはバッハさんのやり方も参考にされてたので地続きなんですよね。あとSOL’S COFFEEさんでは個人店の大変さは経験しました。
ー自分で全部やらなきゃいけないという?
個人店ってオーナーの考えがミッションになったりするじゃないですか。そこについていくのって簡単じゃなかったりするし、あとはやっぱりSOL’S COFFEEさんは「デイリーユーズ」と「クオリティ」の両方を追求している所があったので、大変な事も多かった。僕の印象ですよ。
それにどこかの事業がやっている珈琲屋ではなく、本当に個人の珈琲屋さんだったからそういうのも勉強させてもらいました。苦労していましたよ。愛憎相半ばする、みたいなところありました。みんなむき出しでぶつかり合ってたんですよ。僕はあれで良かったのかなと思いますけどね。
「俺ちゃんと珈琲好きになったんだな」
宮村さんが自分でハンドルを握ったときのこと
ー初めて焙煎をしたのはいつなんですか?
富山にいる時です。富山でも当時サンプルロースター※11で豆を焙煎して売っているところもあったんですよ。そういうところにも「ここで働けないですか」って聞いていたんですけど、そこの人に言われたのは「まずは手網※でやらなきゃだめですよ」って。生豆はうちで販売してるからって言われて。
※11.サンプルロースター:珈琲屋が豆の焙煎を決めるために少量焙煎するための小さな焙煎機。
※12.手網:手網焙煎のこと。銀杏を煎る道具などで直接生豆を火にかけて焙煎をする。
本当の最初は実家の台所で手網やってました。父と母の心配そうな視線を浴びながら。東京で仕事辞めて実家帰ってきてずっとフリーターやってるから、「あいつはまたなにかやっても辞めちゃうんじゃないの?」そういう雰囲気を感じていました。
ー辛そう。
精神的には色々諦めてる様な、辛い時期でした。だから投げやりな感じでハローワークに通っていて。そういう時期がありました。
ーへぇ、おもしろい。想像つかないです。
25歳で短期間で職場2つ辞めちゃったんで、自分の事が分からなくて当時は職務経歴書を書くための自己分析のカウンセリングに通ってました。
ーちゃんと普通のことをやってらっしゃるんですね。
当時はそうならないとって思ってましたからね。今の考えと全然違いましたね。
ーどこかで変わったんですか?
地元の友達に商売をしている人が多いんですよ。アンティークショップとかトリマーとか。家業を継いでいる人も多くて、サラリーマンがあまりいないんです。
でも中でもひとり、古着屋を始めた友達の影響は大きいですね。
彼も僕が地元帰ったくらいの時には、普通の仕事をしていたんです。だけど古着が好きで、そこを辞めて古着屋に入ったんです。俺もそこから店に遊びに行くようになって。お店でお客さんと喋るあの感じっていうのも、その時初めて味わいました。それまではあまりお店で店員さんと喋るっていうのを経験していなかったんです。個人のお店に行って、スタッフさんと、商品のことはおいといて普通に会話するとか長居するのって楽しいんだな、みたいなことを知りました。影響受けましたね。
それにその彼も結構パッションで仕事してる感じが伝わってきて。「好きからやってんだなぁ」みたいな。その時は自分がそういう風になるとは思ってないですけど。
ー思ってないんですね。
その時はまだ自己分析のカウンセリングに通っている時でしたから。
ー笑。
僕にはできないなぁみたいな感じ。
ーそれで後々「ハっ!」てなるんですか?
彼が独立したいって言い出すんですよ。古着屋で働きながら、金策を考え出すんです。「自己資金をどうやって用意しよう」とか。それで彼が仕事終わりに、当時僕が夜に掛け持ちしてたバイト先へ皿洗いをしに来るようになったんです。皿洗いして、夜中の1時2時くらいに色々喋ったりするんですよね。これからどうしていこうかみたいな。
僕はその時はカフェのバイトでコーヒーをいれているような状態で、彼は古着屋で油がのってて「もう自分でやりたい」っていう時期で、彼はそこからすぐ動いたんです。店もぽんと辞めて、借り入れしてお店作って。それが2014年なのであの時に僕もスイッチが入ったというか。僕もとにかく珈琲をやろう、と。
ー大きく影響をうけていますね。
あまり本人にこういう話はしないんですけどね。笑
彼は僕が悩んでるのも分かっていた人なので。
でも最後に富山出る前に叱咤激励してくれましたね。本音で叱咤激励してくれるのが嬉しかったんですよ。だからすごくスイッチ入りました。当時32歳くらいでしたから。
ーちゃんと相手のことを想っていないと言えないですよね。
そう、だから結構見返そうっていう気持ちはありましたね。
ーそういうエネルギーもあったんですね。
でもやっぱSOL’S COFFEEさんに入って自分で休みの日に出張カフェとかやるようになって、その時期からそういう気持ちはなくなりましたね。地元で燻ってたことをあまり振り返らなくなって。
その時に思ったんですよ。俺ちゃんと珈琲好きになったし、ちゃんとこれを仕事にしてやっていく体制ができたのかなって。
ーそのときにハンドルを握ったって感じなんですかね。その「見返したい」みたいな気持ちを最初はエンジンとして使っていたのかもしれないですね。
そうなんでしょうね。だからあの時は嬉しかったです。そういう気持ちも無くなったか、って。ちょっと禍々しい感情じゃないですか。パワーにはなるけど、考えが偏ったりする原因になる。そういうのが無くなった感じがして嬉しかったです。
ーいいですね。
「レコードを買いに行く」以上の価値がある時間
ーところで飾られているこちらの作品はどこで買ったんですか?
僕の地元にコーヒースタンドがあるんですよ。去年帰省をした時にそこに行ったんです。お店は奥さんがやっていて、旦那さんはイギリス人で絵を描く人なんです。たまたま行ったら僕の地元の美術館で彼が展示していることを教えてもらって。
これ僕の地元の風景なんですよ。
ーわかるんですか?
もう、すぐわかる。
よくこの絵面を捉えたなと思っていて。
田中冬二さんという僕の地元をうたった詩人がいるんですよ。その人の展示をするときに一緒になにか展示できる人はいないかってことで、4人ほど作家さんが作品を展示していたんです。テーマとしては田中さんが地元の生地(いくじ)を詩で読んでいるので生地にまつわるものを作るってことで、アーロンさんは風景画を描いて並べていました。それでノスタルジーを刺激されたというか。「ああ、いいなぁ」と思って。
僕絵を買ったのも初めてで、そういうめぐり合わせがあった感じですね。「あ、これ買わなきゃな」と思って。
もしかしたらアーロンさんにはいずれここで展示もやってもらうかもしれないです。
ーいいですね。
ー珈琲以外で好きなことはなにかありますか?
あまりないんですよ。音楽は好きですけど、ほとんどお店にいるので。休みの日は知り合いの店に行くことが多いですね。誰かに会いに行くのが好きですね。
レコードは未だに買うんですけど、最近だと両国のチルアウトさん※13でしか買わないようになっています。あそこでいいなと思うのは田舎にいるときにレコード屋を回っていた時の感覚を思い出すんです。「限られた在庫の中から探し出す」みたいな感じ。田舎にいる時も本当そうで、「あーなんか在庫変わってないな」って思いながら、でも捻り出して買うんですよ。僕ここでかける音楽は結構決めていることがあって、だいたいピアノかギターのジャズが多いんです。
管楽器が入ったジャズももちろん好きなんですが、ちょっと夜っぽい雰囲気になる気がするので。
だからチルアウトさんに行った時には毎回そういった話をするんですよね。
「うちに合いそうなのある?」
って。それで店主が「うーん」って考えて、いろんな問答をして。彼は聴かせてくれるので、「宮村さんこれいいっすよ、聴きます?」とか言って聴かせてもらって。
あの時間は結構いい時間だなって思います。なんかこうひと言で言えない時間なんですよ。レコードを買いに行ったっていう言葉だけでも補完できないし、あの一連の流れが好きですね、最近。
※13.チルアウト:東京都台東区両国にあるレコード屋兼カフェ。
ーなにを共有してるんですかね?
あのやり取りが心地良いのもあるし、それでまあコーヒーも飲んでるわけですし。いいですよあそこは。最近休みの日はそんな感じです。
「偶然の出会いって、必然じゃないですか」
流れになかにいること、それに抗わないという姿勢での今後の店づくり
ーsalad day coffeeの役割とか、宮村さんがどういう姿勢で店をやっているかとかで思うところはありますか?
お客さんから「人間に戻れる場所」って言われることがあります。在宅で仕事している人がちょっとひと息つきたいとか、お勤めできてる人が息抜きしに来ているとかそういう需要が平日は多いんです。
だからそういう機能をしているのかなって思いますし、一方で土曜日は外から来る人が増えます。
ーそれは結果としていいなって感じですか?嬉しい?
…(長い間)そうですね。
でもなんでこんなに言葉が出てこないんだろうと思ったら、始める時にミッションとして「こういう風にしよう」とかはやってなかったんですよ。実はプレオープンの時、なにも言わずに開けたんです。知り合いにも言わなかったし、インスタにもあげずに突然オープンした。
ーどうしてですか?
ただ開けたらどうなるのかなっていうのに興味があって。
ーおもしろいです。
プレオープンを10日間だけやったんですけど、その10日間で「あぁこういう感じなのかな」っていうのをキャッチして、それがベースになっていますね。
その10日間って偶然の出会いじゃないですか。だから必然性がすごく高い気がしたんですよね。
ただ開けて、そこにただ珈琲と僕がいる、店の前をただ人が通ってくっていう状況があったらどうなるのかなって。
僕がなにか考えを持って最初から「こうですよ」っていうんじゃなくて。それがベースになってるんで、結果今こうなってるかなと思います。
ー少し不思議。自分のペースでやりたいという思いもあり、でも外の流れも受けつつというのは、決してひとりよがりな「マイペース」ではない感じがしますね。
たしかに相関しているような感じはありますね。ただ、僕の場合はそれが自分のペースなのかもしれないです。
難しいですよね。どういうお店にしていきたいですかとか聞かれますが、自分でもあんまり持ってないのかなって思うんですよ。決めつけてやっていないのかもしれないですね。
ーだから居心地がいいと思う人が多いのかもしれないですね。
伝えたいことがないわけじゃなくて、それはあるんですけどね。でもたぶん言葉にできないことを伝えたいんだと思うんです。こう、感じてもらいたいなって思うんですよ。
僕が思っていることを言葉で伝えたとしたら、情報としては入ってくるけど、でも言葉にできないんですよね。
取材で言っちゃいけないですよねこんなこと。
一同笑
ーそんなことないですよ。いやでもたしかに。笑
一日営業が終わって、頭に残っていることってやっぱりあるんです。あの瞬間すごい良かったなとか、でもじゃあそれを端的に言葉にするとなんなのって言われると言葉にできなかったり。
ーそれってもしかしたらそこだけで起きていることじゃないかもしれないとかもありますよね。つまり前後関係があるというか、物語があるというと平坦な表現になりますけども。
たとえばその大家さんのお孫さんの話も、「今日はHを言えなかったね」という話だけではないじゃないですか。みたいなことも含めてきっと、いいよね、みたいなことがあるから、すべてを言葉にするのは難しいみたいなこともあるのかなって。
なるほどなるほど。前後があるってことですよね。
ーはい、難しいですよね。言葉にするのって。
なんかこう、渡したくなりますよね。感じたものを「これ!」って。
たとえばどれだけ相手のこと好きで、「好きだ」って言ったって「すごい好きだ」という情報は入るけど、その時にどう感じるのかっていうことが重要で。だから感じてもらわないとだめじゃないですか。そのために遠回りもするかもしれないし、そういうことをすごい考えちゃうんです。だから定量的っていうよりは定性的なことの方が関心がある。
珈琲豆の蓋のにおいをかがせるのもそういうのがあるんですよ。情報として伝えるんじゃなくて感じてくださいって。それで選んでいいじゃないって思いますね。
ーうん。たとえば若い人も来れば90歳のおばあちゃんも来る、のようなことも叶えられない店だってありますから。
それお客さんに言われることもあります。客層が毎回違いますねとか。自分で感じる時もありますしね。僕がどれだけ空気作っても、お客様で空気は変わるし。
ーきっと宮村さんはそれ良しとしているんですよね。強い個性で払拭しないというのがいいなと思います。
そうですね。全部を受け入れられないのは分かっているんですけど、かといってどこまで受け入れられるのかっていうのを。お客さんに言われたのは「宮村さんが受け入れたい幅っていうのはきっと決まっているわけではなくて、その中にたぶんレイヤーがある」って。もっというとそれってたとえばじゃあこの枠内でいきますっていうのじゃなくて一日一日変わりうる、そういうイメージですね。
それが「瞬間瞬間」「一日いちにち」っていうのにも繋がる。結局やっぱそこなんだなって。その人の時間がどうなのか。結局それを無理やり「こうだ」って決めて、計画立てていくタイプじゃないんですよね。ほんと自分本意にやっている感じなんです。
ーあーなるほど、それを自分本意と呼ぶんですね。
そういう言葉にしました。まぁ自分本意だと思いますけどね。
ーあまりそうは聞こえないですけども。
「今日ちょっとこの人受け入れる体力ないわぁ」っていう時はありますよね。
そうですね。それ本当分かりやすい。跳ねのけようと思えば個人店なので跳ねのけることはできるんですけど、そういうんじゃないっていうのがある。
そもそもSOL’S COFFEEさんを辞めた時に自分がどういうお店作っていくかっていうのに悩んだんですよね。蕪木さんにすごいやられちゃって。
ーああ。
自分の性分的にはあんなスタイリッシュにはなかなかできないかもしれないけど、店をやる上で空気は陰な方が自分には合っているのかなって。
あまりアッパーな感じでオープンにするよりは、そっちに引っ張られる感じがあって。自分に率直にやるなら蕪木さんみたいな静かな店の方が良いのかなって思ったんですが、一方でSOL’S COFFEEさんの血も入っているんですよ。SOL’S COFFEEさんはすごくオープンで地元に密着してる感じだから、悩みました。それで結局結論が出せなかったんです。自分の中にそのふたつの幅があるなって思ったんですよ。だったらその真ん中を行こうっていう。仏教の言葉で中道ってあるじゃないですか。幅がある場合真ん中を行きなさいっていう。そういうのを思い出して素直に真ん中を行こうと思って。だからなんていうか、ところてんみたいにきゅって出した感じなんですよ。
ーところてん?
僕は結論がでてないけど、ぎゅって感じで出して、やってみたらこうなった。
ー最初はもしかしたら満足いってない部分もあったけど、それがどんどんやることで作り上げられている感じですか?
それもありますし、幅がもともと広いところの真ん中を取ったから、客層も幅があるのかなって。たとえばこの出窓がないだけでもお客さんの感じが変わるような気はしますしね。
お客さんあってのものというか。やっぱ僕は一挙手一投足みなきゃいけないって気持ち強いですね。見ていたいです。
ラテアートを一生懸命やっても逆さまに召し上がる方がいたりして。ああいう時にやっぱり見なきゃいけないなって思うんですよ。その方は3回目くらいでやっと正面から召し上がって頂けたんですよ。
覚えたんですよね。その方とは一言も言葉交わしてないんですけど、でもなんか会話したような感覚が、関係性がちょっとできるというか。なんかちょっと野暮じゃないですか、効き手どっちですかって聞くの失礼だし。そういう事に日本的なものを感じるんですよ。日本的なものを考えていきたいなっていうのもちょっとあるんですよ。自分の中で。
相手を慮るみたいな。そういうのは大事にしたいなと思ってます。
ーその方が粋ですよね。
ーこれからどのくらい先のことまで考えてますか?
あんまり考えてないです。
ー日々の積み重ねなんですかね。これからどう揺蕩っていくのかわからない、川の流れみたいな。
川のイメージあるんですよ。流れの中にいるイメージがすごい強いんです。もう抗わないイメージ。今流れの中にいるなぁって思いながらやっている感じです。
あの絵を買ったのもそんな感じがしたからなんです。流れてるな、って。絵を欲しいなんて初めて思いましたし。
ー今はひとりでやるつもりなんですか?
少し悩んでいるんですけど、焙煎する時間を取っていかなきゃいけないと思っているんです。僕がこの次のフェーズにいくとしたら、カフェでは限界がありますから。実際物販で豆置きたいっていう要望ももらうしECもやりたいんで。そのためにどういう人を雇うかは難しいところです。これもひとつ勉強ですよね。やってみなきゃわかんないですよね。
私が初めてお客さんとしてsaladday coffeeさんへ伺ったとき、宮村さんの詰めすぎず離れすぎない適度な距離感に心地よさを感じました。私は職業柄、気に入らない限りは同じ店には2度以上行くことがないですが、宮村さんのお店には何度も行ってしまう心地よさがあります。その心地よさの正体を改めて紐解くことができたインタビューになりました。
宮村さんはご自身のその営業スタイルを「川のよう」と表現されていました。不自然な力のかからないスタイルは、簡単そうに見えても難しい在り方です。それは宮村さんの個人の経験値や思想がまるまると生きている在り方で、いちバリスタとしても尊敬します。
台東区台東というこの場所に、どのような川が流れていくのか、楽しみです。
saladday coffee
東京都台東区台東1丁目23-9
営業時間:10:00〜17:00(土曜日は11:00〜18:00)
定休日:日曜日