ivy

[路端のブランチ]vol.1
ギンガムチェックと紙ナプキン

Column

「イタリアンなら、あるよ」

 絶望に満ちた顔で友だちが漏らす。
そして、不安げにこちらを見る。

 好きなインディーレーベルのイベントがあり、来たハコは寂れた場末の駅前。
見たいバンドの合間に飯でも食うかと思えど、いざ、飯屋がない。

 昼飯を逃した男が2人、ライブで立ちっぱで腹のキャパはガラガラ、ベストな渾身の、唯一無ニの提案がイタリアンか……否、他にないのである。

 駅にも負けずに寂れた店構えで、センスの悪い上司がパワポで使いそうなフォントで描かれた看板、やけに緑が薄いイタリア国旗。
思い切ってパンドラの扉をこじ開けたら、客はいない。
一瞬隣にいることを忘れるほど無口になった友だちがさっさと席につき、私も続く。

 備え付けの紙ナプキンは、少しグチャッとなっていて、テーブルクロスは暗めな色味のギンガムチェック。メニューは丸文字ゴシック体で、ファイルに黄ばみ。
うん。いいぞ。すごくいい。

 メニューはシンプル、パスタのみ。これは、イタリアン、などではない。
パスタ屋、もっといえば街のスパゲッティ屋だ。
看板メニューはたらこクリームとトマトクリーム、ナポリタン。

 中華屋ほどどこにでもあるわけではないから、違うものを食べたいときに、大抵何らかの理由で途方に暮れたときに、出くわす。
そしてこれが、不思議とハズさない。
そういう絶妙な隙間に、こっそりといるんだ。スパゲッティ屋というのは。

 色褪せたメニュー表を見ていたら、急にたらこクリームが食べたくなった。
思えば久しくありつけていないが、そもそもこれを出す店に久しく入っていない気もする。
その割に、腹の虫は味をしっかり覚えていて、舌なめずりをしていた。
友だちも私も、無言のまま、指さす……やはり、同じだ。

 それから数日、ライブの合間のランチなんて話題にも出さなくなる頃。
自宅の周りで昼飯を探した午後3時。
あいにくいつもの店はランチタイムがおわっていたが、今まで足を止めたことがなかった、やけに鄙びた看板が目についた。

 ああ、アレだ。
まさか地元で入ることがあるとは思わなかったが、”あの”スパゲッティ屋だ。
ニンニクの香りが扉から漏れて、通りまで芳しい。
数日前の全く店名も場所も店構えも違うが、思い出したように、たらこクリームを頼む。

 乾麺をアルデンテにして乳化させた薄ピンクのソースで和えた上にケミカルでビビッドな色味のたらこが鎮座する。
このソースのねっとり感といい、しつこすぎないマイルドなクリーミィさといい、喉越しのいい日本的な麺のテクスチャといい、どこかで食べた記憶をなぞるような味わいだ。

 記憶に残る旨いもの、とは違う。むしろ、毎度忘れてしまう。
食べるときに前食べたときのことを思い出して、毎度その答え合わせをしているような気分になる。
その答えに辿り着く心地よさは、不思議と変わらない。

 たとえ、ずずずずるんっ、と不躾な音を鳴らしてパスタを啜る中年男が隣の席でも、BGMがまさかというほど場違いでも。
そういうものですら、毎度皿を前にして、古いビデオテープを再生するかのように蘇る。

 食後にあと引く、バターの甘味とたらこの仄かな塩味をお冷でさっと洗い流して、早々と席を立った。

 またいつか、思い出して、答え合わせをしに、同じ味を求めて来るかもしれない。忘れた頃に。
時間も気にせず、することも決めていない日に。
あるいは、他のことに夢中で、飯のことを思い出したら急に腹がへって仕方がない日に。

[路端のブランチ 序文]

 日曜日、時計を外す。
 そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。
 そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
 時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。