[嘘のたべもの]vol.3
炊飯器から栄養を手に入れる1の方法

Column


知らなかったとは言わせませんが、炊飯器は押すだけでいいんだネ。
そんな当たり前のことに気がついたのは、30歳になる年の冬でした。

加齢によってだんだんと自覚が深まったことのひとつだが、わたしはさほど食べることに興味がないんじゃないかっていうことだ。

まず、待つのがきらい。料理も得意ではなく、なんだか漠然と嫌だと思っているフシがある。

普段一人暮らしをしているけれども、自炊ってあまりしていない。何を食べているのかというと、多分あんまり食べていないね。

お腹がすくが、寝たり水分をとってごまかすこともある。料理をするエネルギーがないので、自然とそうなってしまうのだ。

しかし、何も食べないわけにはいかない。
食べないものは、死ぬ。
それが、この地球に生きるもののさだめだ。

だから目の前の命をつなぐため、お金もたいしてないのに、くだんの出前サービスを利用してしまうこともある。
困ったねえ。

これじゃあn年後にわたしの居場所は病床っていうこともあり得る。どうにかする方法はないのか。

わたしは工夫が得意だ。
知恵をしぼった結果、とりあえず冬なので鍋っぽいものを作り、うどんを足して食べるなどしてそっとお茶を濁していた。

そんなある日、わたしがインターネットをウロウロさまよっているときのことだった。とある炊飯器調理の情報が目にとまった。

いえ、言い訳するようだが、炊飯器調理は知っていた。(カレーやホットケーキが有名ですからね!)

しかしながら、すでに知識として知っていた「ソレ」が、自分の人生と結びつくことがなかった理由はまず、手順の多さだった。
それに、決まりきった料理ができるというのもあまり琴線を刺激してこない。
触れるくらいはするが、わたしはそれらをスルーしていた。(※ホットケーキはやったことがあります)

だが、インターネットに書かれていた「たまねぎと加工肉etc.を入れてぴっとするという系のヤツ」を目の端にとらえた時わたしは確かに感じた。
脳内で、ウチの炊飯器の炊けを知らせるメロディ(アマリリス)が高らかに鳴り響くのを。

水分と根菜のようなものとスパイス、動物性のタンパク質などを入れて押すんだょ。
それだけで、いい。
火の番もしなくていいんだ。

適当にセットしておけば、仕事中に何かが生み出されているんだ。
たとえわたしが寝ていても、炊飯器があれば何かを生み出すことができるんだ。

幸い家にはたまねぎがあった。それに、なんと肉もあった。
わたしはやった。

たまねぎを丸ごとベッと入れた。水も適当に入れた。
肉もいれた。ダシだって加えた。

そして、押した。

どれぐらい時間が経っただろうか。
台所で、高らかにアマリリスが鳴り響いた。

包丁で切っても火が通るのに時間がかかるような、いわゆる強い野菜がまるごと、スイッチ一つでホクホクとろとろの汁状の料理になっていた。

すごくね?????これは。

歓喜したのも束の間だった。
肉を口に含んでみると、くさかった。

わたしは肉のくさみが大の苦手だ。これは失敗だったのかもとがっくり肩を落とし、とりあえず冷蔵庫にあったチューブの生姜を入れて、その汁を放置した。

さらに時は流れた。

わたしはまた炊飯器に駆け寄り、蓋をあけた。するとどうだろう。

炊飯器のもつ「保温」の効果なのか、肉がさっきよりやわらかい。
それに、たまねぎもくずれてさらにとろとろになっていた。
気になったくさみも、いつのまにか消えていた。

その時からだ。わたしが炊飯器というものを、そしてその「保温」を、にわかに信じ始めるようになったのは。

炊飯器は、調理の終了を知らせてくれる。

しかし炊けを知らせるメロディ(ウチではアマリリス)が聞こえてきても、すぐにトットコ駆け寄って食べ始めてはいけないよ。
まあ大抵は動くことが面倒な場合が多いので、そこをチャンスととらえ、存分にダラダラ過ごすと丁度いい。

そうしているうちに、中に入った食材は、いつのまにやらいい塩梅になっているんだから。

押すだけで、いい。
だからわたしは今日も、押すんだょ。

[嘘のたべもの]

名前:づ
手間をかけずに栄養をとりたいと考えている。
げんきなときと、そうでない時がある。
謎犬愛好家です。