[嘘のたべもの]vol.8 甘え上手なコーヒー

Column

上手に人に甘えるというのは案外難しいのかもしれない。

知人が亡くなった際、あまりにもショックだったので、ここは恋人に甘えてみるかと思って感情をぶつけたりしていたら、重いと言われてしまった。実際は重くないはずなのに、重く感じているのはおれだと思う、とも言われた。

まぁ言われてみれば、まだしっかりと愛情が育っていない中、相手に寄りかかりすぎると支えきれないだろう。

わたしとしては単に傾聴さえしてくれればそれで良かったのだけれど、その辺の温度感もまだはかりかねる段階なのかなぁと思った。とりあえず、一旦信頼の土台を組むところからやっていこうか…。

「甘えるのがうまい女は愛される」などとよく聞くけれど、その甘さのさじ加減は自分の中で明確になっていないということがわかってきた。不安な気持ちが増した時、人はこういうデカい主語の話にすがりつきたくなるものだ。

ところで、過去にごくたまにモーニングに行ったりしていた近所の無職の友人というか後輩が、ついに東京の家を畳んで実家に帰ることになった。とはいえ、疫病の流行のせいで彼はほとんど実家に戻っていたのだけれど、家を畳むとなるといよいよおしまいだという感じがする。

そろそろいなくなるのだろうと思っていた頃、会社で仕事をしていると、夜に電話がかかってきた。

折り返すと、いつも通りの飄々とした喋り口で、後輩が出た。

「あっどうもどうも。いま何してます?ぼく今東京でして。で、今ね、荷物片してて。京都帰るんですよ。」

いよいよ帰るのかぁ。

「で、お願いがあるんですけどー。最後にちょこっと会いたいなぁと思ってるんですけど。」
「はいはい」
「でも、ぼく自転車積んでしまって。」
「はい」
「そんで、これはぼくのワガママなんですけど、ぼくのところまで来てもらえませんか?」

後輩というか友人は、いつもみたいに調子の良い、けれども丁寧さのある口調でそんなことを言った。

結局お互いの都合で2日後の昼に会うことになったわけなんだけれど、普段そんなことを言わないような人から「会いに来て」なんて言われるのは、なんだかどきりとする。

もしかして、甘え上手ってこれのことなのか。

約束の日のお昼時、わたしたちは喫茶店でハンバーグカレーとピラフを食べた。後輩というか友人は、粛々と「ユースの終わり」について語ったりしていた。

数日前に禁煙を決意したわたしだったが、煙草をもらって一本吸ったりもした。

彼はコーヒーに入れたシロップが案外甘かったようで、「しまった、甘い!」とか言っていた。

駐車場まで歩くあいだ、「ぼくたち出会ってから10年経ちましたね」と言われた。出会った時のことをお互いちゃんと覚えてもいた。そしてわたしと会ったことで、ぼくの世界が広がった、と言ってくれた。

この頃のわたしは、自分と正反対の性質を持つ恋人との関係の行き詰まりにわりあい食らっていた時期でもあった。そんな中、こうして不意に誰かの世界を広げたことを感謝されたということに、なんだか別な意味でふたたび食らってしまったのだった。

単なるおせっかいでしかないように思えていた性質がいい方向にいくこともあるんだなと思ったら、透明にすり切れていた自分の存在に少しだけ色が戻ったような気がした。

きっとまたすぐに会えるのだけれど、「10年ありがとう!」と言いながらわたしたちは帽子を取って手を振り、さよならを交わす。

ところで、今はまだあの「会いに来て」の応用のさせ方はわからない。

他人との関係について、近しい人との関係について、わたしにはまだまだ向き合ったり、やらなければいけないことがたくさんある。

うまくいかないこともあるけれど、わたしたちは道半ば。

みんな陽気に、躓いても転んでも、まっすぐ歩こう。

[嘘のたべもの]

名前:づ
手間をかけずに栄養をとりたいと考えている。
げんきなときと、そうでない時がある。
謎犬愛好家です。