[つまみ読む生活]vol.24 食べることは、生きること。生きることは、食べること?
「おはよう」のあなたも、「こんばんは」なあなたも、こんにちは。第24話です。
このエッセイも24回目となり、今の状況を素直に言えば、何を書けばいいのか分からなくなってきました。少なくとも1日3回、毎日欠かさず行われる食のことなんて、いくら語っても足りないくらいだと思っていました。初めの方は、ある食べ物を取り上げて、それにまつわるエピソードを書いていましたが、最近の文章は、食べることを一つのきっかけとしてもっと大きな話をするようになってきました。「こんな感じで大丈夫だろうか…?」と思ったりもしましたが、
「食べることは生きることだから、生きる上で気付いた大切なことを書くのは正しいのかもしれない!?」と気付き、内容のスケールがさらに大きくなってきた日曜日の18時です。
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今回は、犬の話。私は犬を飼っていて、なんともう17歳。人間で言うと100歳くらいだそう。犬は太っていて、鈍臭くて、すごく可愛い。いたずらもしないし、めったに吠えない。ドジだけど、とても優しい目をしている。こんな素晴らしい犬がいて良いのだろうか、というほどに尊敬しているし、大好き。犬がそばにいるだけで、自分が愛を持った人間だと思い知らせてくれる。何が出来るとか何をしたとか、そういうことじゃなくて、ただそこにいるだけで嬉しい存在がこの世にはあるということを8歳の私に教えてくれて、17年間それを証明し続けている。
初めて出会った瞬間から、その先にある死を常に頭の片隅に置いて過ごしていたけれど、どうやらその時が、すぐそこに来ているらしい。
ここ最近は一気に弱々しくなってしまった。起きている時間より、寝ている時間の方が長くなり、一人で出来る事がなくなり、ひと時も目が離せなくなった。コロナの事は恨めしいけれど、在宅勤務になったおかげで私は犬と離れずにいられる。それは本当に良かった。そういう時期なんだなと、妙な納得感がある。
「まだ食べるの?」って驚かされていた食欲もなくなってしまった。もともと太っていたから、多少痩せてもまだ大丈夫かなってくらいのどっしりさはあるものの、今まで奥の方にあって触れることができなかった骨の存在を感じるようになった。食に興味を持たなくなった事が、一番ショックだった。生を続ける事を諦めてしまったように感じたから。
「食べないと、ダメだってば」と声と共に涙が溢れる。こんなにも、食べる事と生きる事が直結しているのだと実感した事はない。
大好きな犬が、死んでしまうなんて絶対に嫌だし、その先の自分が大丈夫なのか想像もつかない。けど、もし私が100歳になって、食べる事を諦めたとき何を思うのだろうかと考えたら、何をすべきか少し分かった。
それは、一緒に生きている1秒1秒を大切に消費することだ。
食べる事は、その先を生きるためのものだけど、生きる事は、いま確かにある体を感じることなのかもしれない。
イコールだと思っていたけれど、かなり違った。そして気づく。「生きる事について考えるとき、なぜ先の事ばかり思い浮かべていたんだろう」と。生きる事は今を積み上げていく事だった。
だから、出来るだけそばにいて、今確かに生きている犬の体に手を当てて、肺が膨らみ心臓が動く様子を感じようと思った。そして自分に向けても同じように、今あるこの気持ちも体の変化も見逃さずに大切にしていこうと思った。この状況に悲しみを感じつつもお腹が減る自分の体が愛おしい。
今回はこの辺で。いただきます。
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「つまみ読む生活」
食べるように読み、吐くように書きます。ここ3年、1年おきに人生がガラッと変わってる。
こや