MANLY COFFEE
福岡市中央区平尾。「平尾村」と呼ばれる木造の古民家が立ち並び小さなお店が集まるエリアに「MANLY COFFEE」はあります。
初めて訪れたときは平尾村の入り口にある看板を目印にどきどきして入っていったのを覚えています。
オーナーの須永紀子さんはコーヒー好きなら言わずと知れた「エアロプレスの母」と呼ばれ、日本にエアロプレスを広めた第一人者。3人のお子さんをもつお母さんでもあります。
ご家庭がありながら、コーヒー業界の第一線で活躍される女性としてとてもお話を聞いてみたいと思っていました。今回インタビューのご了承を得てお話を聞かせていただくことができました。
インタビュー:Nana Hiro
写真:中村圭甫
お店を開くという夢のために
無我夢中になれるコーヒーとの出会い
—はじめに、お店を開くまでのお話を教えてください。
短大のときにカフェで働いたのがきっかけでそれが楽しくてカフェを開きたいという思いを持ちました。
また、若いうちに海外で暮らしたいという思いがあり、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。そこで主人と出会い、帰国後結婚しました。そしてまもなくてして長男を出産しました。
昔二人でお店をやろうかという話もありましたが、結局のところ主人は飲食店をやる希望がなく、自分一人でもやろうと思って動き始めました。
最初は、警固公園※1でおにぎりと味噌汁を売ったらいいのではないかと思い保健所に連絡したら許可が必要なんですよと怒られてしまいました。
その頃は何も知らず兎に角動いてはダメというのを繰り返していました。
絶対に働かないといけないわけではないのに、自分のやりたいことのために子どもを保育園に預けることには葛藤もありました。
子どもがいるために土日は働くことができず、しかし土日が出られないということで働けない店も多く、そんな中受け入れてくれたレストランでしばらく働きました。
その頃、情報誌で焙煎屋さんを見つけ、興味を持ち訪問しました。
お話を聞いて感動して、その日のお会計のうちに「ここで働かせてください!」と頼みました。
店主の方はいきなり言われても…と困ってしまったのですが、無料でもいいのでと食い下がりました。
「教えるということだとお金をいただかないといけないので盗みにくる、ということならいいよ」と言っていただいて、
毎週土曜日にお店に行きハンドピックやテイスティングをさせてもらっていました。
※1警固公園…福岡市の中心部天神の天神駅の真裏にある公園。
その当時、スターバックスについて雑誌などで情報を見聞きするようになってきた頃でした。
立ち読みしていたアルバイト情報誌にスタバのアルバイトの求人があり面接を受けに行き、受かることができ働くことになりました。
開業したいという思いがあったので店舗の業務からディスプレイのことなど何でもスポンジのように様々なことを吸収し、学んでいきました。
学ぶためのリソースが揃っていて、やればやるほど結果に結びついてとても楽しかったですね。
最初にトレーニングしてくれた方が第一回コーヒーアンバサダーの大会※2で優勝したんです。
それを見てわたしもああなりたい!と思い、その方にアドバイスをいただいて翌年、同大会に参加し優勝することができました。
この優勝をきっかけに様々な経験をさせてもらうことができました。
社内・社外に向けてコーヒーのことを伝える場が設けられ、取材を受けたり。
一番大きな経験となったのは、シアトルに旅行に連れて行ってもらったことです。旅行に際して、やりたいことの要望を聞かれていて「社長に会いたい」と伝えていました。
社長室に招待してもらい、ハワード・シュルツ社長に会わせてもらい、
一号店で働かせてもらい、工場に見学に行き…貴重な経験をさせてもらいました。
5年間在籍していたのですが、もうこれ以上は自分で学んでいかないとと思ったのと、自分でお店をやりたいという思いがあったので、そこでスターバックスを退職しました。その頃に次男ができました。
※2…2001年からスターバックスで開催されている社内の競技会。
昔、自分で焙煎をしたことがありました。
しかし、疲れる、散らかる、美味しくできない…
手を出すものではないなと思い一度止めていたのですが、ある時、またやってみようと思い焼いてみたところ、意外にも美味しくできて、周りに売り始めました。
知り合いのパン屋さんの軒先で売らせてもらい、同時にブログを始めオンラインショップを始めたのが2008年1月のことです。
最初は、ガスコンロでできる500gの手回し焙煎機を買って焙煎していました。10月にはアパートの一室を借りて中古の1キロの焙煎機を購入し「MANLY COFFEE」を始めました。
—ご家族は応援してくれていましたか?
そうですね、スタバの大会で優勝し、実績を残したミラクルを起こしたこともあって応援してくれていましたね。ずっとお店をやりたいという思いも知ってくれていたし。
もちろん両手を広げて歓迎していたというわけではなく、大丈夫なのかと心配もされました。
—お家のこともあって開業するのは大変だと思うのですが、どういった部分で苦労されましたか?
子供がいながら働くとなると、思い切り働くことができない。
いつ熱を出すかわからない、何があるかわからない。思い切りやりたいのにそれが叶わないというフラストレーションと向き合うことは大変でした。
逆にその制約があったからできたということもあります。
スタバでの大会優勝の経験についてもそうですが、絶対にこれがやりたいと思っていました。
周りに笑われたりもしましたが、休憩中も利用して時間があれば大会に向けて勉強しました。
誰よりも真剣に、本気で取り組んでいたと思います。逆に、時間があり何でもできる状態なら取り組んでいなかった。
短い期間、限られた時間でやりたいという思いが明確にあったからこそできたのだと思います。
「お店を開く」ということもずっとやりたかったことで、一つ一つ薄皮を剥がすようにやってきました。
「やらなきゃ」より「やりたい」という気持ちで無我夢中でした。
楽しかったことより苦しいことの方が多かった。
今は、ようやく楽しいと思えるようになりました。
これまで、どうにか家のことに折り合いをつけてやってきました。
コーヒーに夢中で、世界を目指すようになっていって、正直なところ子どもの行事よりもコーヒーのことで頭がいっぱいでした。
なので、子どもに対して後ろめたさや申し訳なさはずっと持っていました。
あの時の自分はああすることしかできず、振り切っていました。
—仕事人間ですか?
仕事というかコーヒーについて特別、なんです。
あの頃はスペシャルティコーヒーが注目され、波がありましたし。
—勝手ながら、器用にお仕事と家のことをやられているんだと思ってました。
主人のおかげですね。
家事もてきぱきと手伝ってくれて、とても愛情深い人です。
家族のことを最優先に動いてくれていたのでそれで成り立っていました。
わたしのこういう部分も楽しんでくれているのもあるのかな。
わたしがコーヒーに夢中なので、家族でキャンプに行く時にもコーヒー屋がある場所を選んで家族を付き合わせたりしていました。
その内だんだんとわたしを置いて子どもたちをキャンプに連れ出すようになっていきましたね。(笑)
「切り拓く」という役割
須永さんの行動力と挑戦心
—お話を聞いていて、行動力がすごいなと思っていて。自分だったら足踏みしてしまうだろうなというところを思いきって踏み出せるところなど…どちらかというとプラス思考ですか?
そうですね。
「切り拓いていく」ということが自分の役割として与えられていると思っていて、そういう力があるのかな。
—そういう気づきがあったんですか?
昨日、鑑定に行ってきたんですよね。それでお話を聞いてやっぱりそうなんだなと納得しました。
—占いが好きなんですか?
はい、昔から好きです。
ある時、ぴたりと当たっているなと思うことがあって。
それから、これからの道標として意識するようになりました。
時期として、種を蒔くとき、耕すときだとか…わたしがお店を始めたときは一番良くない時期だったそうなんですよ!確かに苦労は多かったですね。(笑)
—では、迷われたら行動指針にするようにしていますか?
そうですね。今自分はどこにいるのか知りたい時、そして新たに向かいたいところがあった時なんかには占いを見ちゃいますね。
今まで抗ってきた分、これからは楽して生きたいと思うんです。
ただ、わたしすぐ忘れるんです。日々の些細なことから嫌なこととか。
これも才能かもなあと思っています。
忘れることができるからまたチャレンジできる。
変化をどんどんしていくことが強みだし、自分の役目や才能を発揮できるといいと思っています。
変化に対する恐れは全くないんです。好奇心が強くて、知的欲求も強い。
そんな自分に本当にフィットするものが、コーヒーでした。
今までだとコーヒーカルチャーやエアロプレス、今はミルクブリュー※3ですね。
※3…須永さんが佐賀県嬉野のNakashima Farmさんと共同で商品化した、水出しコーヒーならぬミルク出しコーヒー。
—常に停滞せず、発信している印象です。
もっとしたいけど現状できていないんです…
You Tubeの配信ももっとしたいですね。
何かを発信したいという気持ちはあります。
—インスタでライブ配信されている同じコーヒー業界で活躍されている女性へのインタビューの「Hello Coffee!」とても面白いです。
ありがとうございます。
地域に根ざし、家族と共に歩む
MANLY COFFEE 第三章の幕開け
—近頃になり落ち着いてきた、楽になってきたとおっしゃっていましたが、どのような心境なのでしょうか。
これまでは世界を目指していて、そんな中で3人目を妊娠しました。
ノルウェーで開催されるNordic Barista Cupに行くことが決まっていた時でした。
これは行けなくなってしまうなと思っていたのですが、助産師の友達から安定期に入っていたら行くことはできるし、赤ちゃんはのりさんの邪魔をしに来たわけではないのよと言ってもらってとても楽になりました。
世界一になりたいと本気で思いロースターチャンピオンシップに出ました。
周りは「COFFEE COLECTIVE」とか「Tim Wendelboe」※4など北欧の名だたる会社ばかりの中、1キロのフジローヤルで挑みました。
北欧の各国の人たちが集まり、チャレンジするロースターの豆を使って世界の有名なバリスタさんたちがチームを組んでコーヒーの抽出を競うという、バリスタカップも同時に開催されていました。
その時わたしが組むことになったのはスウェーデンのバリスタさんだったのですが、こちらが一目でわかるくらいがっかりしていました。(笑)
その頃エスプレッソのこともわからなくて英語もできなかったし、無謀だったと思います。
参加されていた中で台湾の「Fika Fika Café」※5の当時無名だったジェームスさんのコーヒーを飲んでみんな絶賛していました。
本当に美味しいコーヒーを作れば認められるんだなと改めて実感しました。
日本語が話せる通訳さんがいたので大会中にジェームスさんと交流していたご縁もあり、ジェームスさんに焙煎の修行させてくださいと言って
5日間台湾に修行に行きました。
※4…COFFEE COLECTIVEはデンマークコペンハーゲンのロースター、Tim Wendelboeはノルウェーオスロのロースター
※5…台湾台北のロースター
それから帰国して、出産しました。娘はダウン症を持っていて心臓に疾患がありました。手術を何度かし、1年間程入退院を繰り返していました。
それが大きな転機でした。
今まで自分がやりたいことはほとんど叶っていった中で、初めて自分の力ではどうしようもないことがある事を体験しました。
それから、世界のコーヒーというものを目指せなくなってしまいました。
「いつでもいいのでまたコーヒーを買わせてください」とお客さまから注文をいただいていて、それが支えになっていました。
入院中は、週末だけ主人に付添を交代してもらい娘を看てもらいながら焙煎を再開しました。
焙煎する時間は集中し、落ち着けて救われる思いでした。
それまであったぎらぎらした「欲望」みたいなものが「感謝」に変わっていきました。
そんな中今まで応援してくれていた主人から、娘に向き合ってほしい、もうお店は辞めたらとそこで初めて言われました。
それでも、お客さまから注文をいただいていたので細々と続けられていました。
その頃アパートが取り壊されることになり、ご縁があって平尾に移転することになりました。それがよかったですね。
—リスタートのようなものでしょうか?
はい。
昔からアップルとかソニーのような小さな町工場から世界を目指すというストーリが大好きで、わたしもこのアパートから世界に行くんだと本気で思っていました。
現実には、そんなお金もないし移転も考えられなかったけど、結果的に今の場所に来れてすごく開けました。
2年前、「she’s roaster」という女性ロースターの集まりを日本でもやろうと声をかけてもらい、東京に行くことになりました。
この時主人からLINEで頑張ってねとメッセージが届きました。
そこで、「わたしコーヒーやっていいんだな」と許可された気持ちになりました。
今は本当にやりたかったことができる、やろうとしているところです。
第1章はお店を始めたこと、2章が平尾に移転したこと。
娘も無事小学校にあがり、これからが第3章という感じです。
—第3章はどんな風にしていきたいですか?
地域の人に愛され、世界中のコーヒー好きに愛されること。
あとは自分の生活、家族、子どもたちを大切にしていきたい。
これまでそれらを犠牲に自分のやりたいコーヒーだけをやっていたので、これからは家族との時間を豊かに大事に暮らしていきたいと思っています。
本当に自分が美味しいと思うコーヒーを提供してお客さまにとっても生きる力になってもらいたい。
「Coffee is beautiful,Life is beautiful.」というのがモットーなのですが、一瞬でもお届けできたらと思います。
—かつ、世界もまだ見ていますか?
世界はやっぱり、そうですね。
世界のコーヒーシーンは進化し、成長しています。
受け取るだけでなく自分も同じ土俵に立って発信したい。
中学から高校まで修道院にいて教会に通っていたんですけど、パイプオルガンの演奏の美しさにとても感動したんです。こんな感動を人に与えたいというのが原体験になっています。
それがコーヒー、自分の生き方です。
人生を通して、「Beautiful!」というインスパイアを与えたい。
—だからこそ挑戦し続けているんですね。お話を聞いているとお客さんに本当に心から伝えたいということを感じます。
伝えられていますかね。
自分に厳しいから、もっともっとと思ってしまうんですよね。
—自分に厳しいというと納得行くことってありますか?
エアロプレスの今のレシピに関しては納得できています。
焙煎に関しては納得していないです。
迷走をずっとしていてもっと美味しくなるにはどうすればと毎回レシピを変えてしまうんです。
ですが、大枠を決めないと仕事はできませんし、最近は折り合いをつけられるようになりました。ここでいいなと。
美味しいコーヒーをつくるためにやらないといけないことはわかっているんですよね。
この部分は勉強しなきゃいけない、深めなきゃいけない、検証しなきゃいけない。これらを日々に追われてできないで終わるというのを一個でもできるようにと心がけています。
—焙煎については現在はどんなテーマなんですか?「かわいい焙煎」というのを聞いたのですが…
今のテーマは「安定させる」ということです。
「かわいい焙煎」やっていましたね。(笑) 要するに、明るさを出して挑戦する焙煎のことです。
焙煎をする上で、守りに入ると火が入りやすい。
ダンパー※6を締め気味にするとしっかりとカロリーが入りアフターが重くなる傾向があるので、今はダンパーを全開にしています。
そうすることで軽さを出しています。その代わりにフラットになりやすい部分はあります。
今までは110点を目指そうとしていましたが、これは自分の欲の部分なので、お客さまが満足する平均100点をしっかり出すことを目指しています。
この平均点を出すというのは自分自身が変わったんだと思います。
でも、それを受け入れたくなかったんですよね。
いや、もっと美味しく焙煎できるはずなのにと色々やっていたんですね。しかし、そうではなくてお客さまが飲んだときに美味しいと思ってもらえるコーヒーを作ることに意識を向けるようになった。
心のどこかに「最高の焙煎とは」という問いは常にありますが、今はそこに捉われず、目の前に頂いている注文に対してしっかり応えていきたいです。
※6…焙煎時に排気量を調節する部分
大らかで柔らかでありながらとても芯の強さを感じる須永さん。
お話の中であったように「切り拓いていく」ことをご自身で貫いてきたからこそ感じられる強さだと思いました。
そして、本当に好奇心が強くいろんなことに興味をお持ちで驚きました。
取材日にカメラを買いに行かれるとのことでカメラマン中村にカメラについてどんどん質問されているのが印象的でした。
働く女性、そしてコーヒー業界の大先輩として、お話のひとつひとつに経験から来る重みも感じられ、とても貴重な時間となりました。
挑戦を続ける須永さん、そして第3章のMANLY COFFEEがとても楽しみです。
ありがとうございました。
MANLY COFFEE
福岡県福岡市中央区平尾2丁目14−21
営業時間は月初にインスタグラムで告知。