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木村桃子さん(彫刻家)

「オトナリ珈琲」の実店舗が10月1日、東京・神保町にオープンしました。

今回はその施工を担当してくれたチームである「まぁ、」のメンバーであり、彫刻家の木村桃子さんにインタビューです。

木村さんはその穏やかな語り口とは裏腹に、作り出すものの特異性が気になる作家さんでした。今回は11月からの個展準備中の彼女のアトリエを訪問し、コーヒーのこと、制作のことなどをお伺いしました。

インタビュー:しば田ゆき
写真:小池りか

「ちゃんといれよう」と思っていれる。
コーヒーへ向き合う時の姿勢

ーおはようございます。今日はよろしくお願いします。
早速ですが、コーヒーをお願いします。

よろしくお願いします。

ーおおお、ガスで火をつけるんですか?

登山用です。でも中国製で怖いんですよ。
いつも使っているわけではないです。家ではちゃんとガスコンロ使ってます。今日は外なので特別感を(出して)。

ーどうしてそんなもの持っているんですか?

災害用を兼ねて。それとキャンプに行けるようになりたいなって。アトリエの人たちが登山とかキャンプとか行くので。

ーすごいかわいい。そしてワイルド。
コーヒーを自分でいれようと思ったきっかけやタイミングはありますか?

前は粉で買ってドリップしていました。
親が日常的にコーヒー飲む人で、幼稚園の時からコーヒーをいれるの見ていたんです。

ちゃんとやろうと思ったのは最近で、この器具をもらってから豆から挽くようになりました。
その前はあんまり気にしてなかったんですよね。

一人暮らしセットとしてコーヒーのドリップバッグが実家から大量におくられてくる。それがおいしくて。

ーそうなんですね。では昔からコーヒー飲んでいましたか?

飲んでいました。飲めるようになったのは中学生くらい。

ーご実家がコーヒー好きなんですね。ブラックで飲んでたんですか?

ブラック。一番最初もブラックです。

ー中学生の時にブラックですか?大人ですね。

親がブラックで飲んでて、かっこいいから憧れてて。

ーつまり「おいしそう」と思って飲んだわけじゃなくて、かっこいいから飲んだんですか?

そう、かっこいいから。煙草かっこいいから始める感じとたぶん似てるかな。

初めて飲んだ時は苦くて「うわぁ」って思った。

ー今日の珈琲豆はどこの豆ですか?

小川のデナリコーヒーのマンデリンです。

ー深煎りですね。デナリコーヒーさんはよく行くんですか?

ずっとどきどきしてて入りづらくて、本当に最近です。このアトリエにいる彫刻家でキャンパーの人がいれてくれたのがおいしくて買いました。

ーお湯を沸かしているのは南部鉄器ですか?

はい。これで急須でコーヒーいれるの卒業しました。

実家でお母さんが南部鉄器使ってて。

普段鍋でお湯を沸かしてて、細い口がついてるのが欲しくて。
白湯をおいしくのみたいと思って白湯用も兼ねてます。実家の南部鉄器の白湯がおいしいので。

ーところでさっき言ってた「急須」ってなんですか?急須でコーヒーをいれてたんですか?

はい。鉄瓶を買うまでは急須でいれてたんですけど、急須も使いたくない時、私おたまでコーヒーいれてるんです。

ーなにそれ。笑

オトナリ珈琲でみんなで動画を共有してた時※1にも、いつものくせでおたまでコーヒーをいれようと思って「あ、やばい」と思って急須でいれて「これで大丈夫」って思ってたんですけど、急須も普通じゃないってことがみんなのその後の反応でわかって結構恥ずかしかったです。

※1.オトナリ珈琲で動画を共有:「まぁ、」とオトナリ珈琲実店舗の施工過程で、「みんなで動画を共有する」ということをしていました。

ーいやいや、急須はいい方法ですよ。でもおたまはすごいアイデアです。初めて聞きました。

そうなんですか。実はそれも工夫してて、お箸に伝わせるんですよ。

ーえーすごい!おもしろい!お箸で伝わせるってどうやってやるんですか?

左手でお箸一本持って、おたまでちょっとずつちょろちょろって。鉄瓶よりもその方が調整が効くんで実はいれやすかったりします。

今日はかっこつけて鉄瓶を持っていきました。笑

ーめちゃくちゃいいじゃないですか。道具つかうのが上手なんですね。
ものに対しての接し方がおもしろい。そういうのって見てて思いつくんですか?

お母さんがポットがない時はおたまでシャッといれてて、やってみたら自分ではうまくいかなくて、どばってお湯が出て溢れちゃって。
「さすがにこれじゃコーヒーおいしくいれらんないな」みたいなのをなんとなくわかって、お箸で代用したら「めっちゃいいじゃん」って。

木村さん提供写真

木村さん提供写真2

ーいつもそんな感じで問題を解決していくんですか?身の回りにあるもので?

ちゃんとした道具があんまりなくて、代用が多いかもしれない。

ーたしかにガスも「災害用を兼ねて」、鉄瓶も「白湯用を兼ねて」と言っていましたね。笑
私はそういうの好きです。水とか、板とか刃物とかひもとか。できるだけ原始的な道具をいかに工夫して使うか考えるのが好きなんですよね。
専用の道具っていうのがあんまり好きじゃないから、おたまドリップ、私はすごく好きです。

コーヒーの器具って専門の道具多くないですか?

ー多いですよね。こだわればそれも素敵なんですけど。
個人的な好みでいえばそういう手の届く範囲でやるっていうのも行為としてとても好きです。
すべてには教科書があるわけじゃないから。

それでいうとアトリエってなんでもできる感はあるかも。

アトリエの人たちがすごいおもしろくて、魚釣ってきて、ぱっと焚き火してそのへんにある垂木削って魚刺す棒にしたりとか。その辺にある制作の道具使ってごはん作ったりとか、その辺から学んでる気はします。

ーとても楽しそう。やっぱり手を動かすことが近くにある人だなぁって思いました。
きっと近すぎて自分では特別に思わないと思いますけど。

すごいコーヒーのいいにおいがしてきました。

ーこの籠は?

国立にある「カゴアミドリ」(https://kagoami.com/)という籠の専門店で買いました。

ー手づくりの籠なんですか?

はい。日本や世界のいろんなかごを売ってる店で、これは東北の岩手かな。桜の皮です。買った時はきれいな草の色でした。肥料用の籠みたいです。
もう日本でほとんど職人さんはいないみたいです。

ー持ち手が独特で可愛いですね。籠がほしくてお店にいったんですか?なんかいれたいものがあった?

私の中で籠を欲してた時です。これがすごい良すぎていいものだからどう扱っていいか最初わかんなくて。

ーただただ籠が欲しかったんですね。

アトリエの中でコーヒーを飲むと木の香りがします。木の香りがずっとしているの。自分では感じないですか?

全然。そんなすごいんだ…。

ーコーヒーいれるときって何考えてますか?

たぶん美味しくいれなきゃって思いながらいれてます。ドリップバッグとかインスタントコーヒーじゃなくてちゃんといれようって思って。ミルを使っていれる時はちゃんとうまくいれよう、みたいな。

ーなんでそんなふうに思うんですか?

作業的にいれると買ってきた良い豆なのに美味しくなかったりして。

ー結構味が変わるんですね。

違う気がしてます。どうなんだろう、主観的な問題なのかもしれない。

ーきっと違うんだと思います。

「美味しくいれなきゃ」と思ってやることって「ちゃんと30秒数える」とか、柴田さんからしたら本当普通のことだと思うんですけどね…。

ー気持ちは大事です。ちゃんとした豆に対しては美味しくいれたいってことですね。

普通に美味しく飲みたいので。でも時間やグラムを計ったりしない替わりに、ちゃんといれる気持ちになろうくらいの。

ーそういう接し方なんですね。

大雑把で。

ーいや、すごく面白くて。計らないけど、向き合い方を真摯にするって方法が木村さんにとっての真摯なコーヒーへの接し方なんだなと思って。ものづくりに関係ある気がしますね。
ちゃんと計ることが美味しさに繋がると思う人もいますし、木村さんみたいな接し方の人もいます。私はそのどちらも真実だし素敵な姿勢だと思っています。

「厚みは時間で、輪郭をとると時間が含まれている線になる」
今回の個展「木馬と星」

今回の展示「木馬と星」について聞かせてください。

ーDMにも載っていた展示の文章すごい良かったです。DM自体もすごく良い。

展示についての文章ー

板をくり抜かれて作られた木馬の頭部は

くっきりと正しい輪郭を持っている。

星座の輪郭は想像力が試される。

(オリオンの脚はどこにあるんだろう)

点が空に浮かんでるように見えるけど、

その点どうしも前後の奥行きがあるらしい。

輪郭よりもそのあるらしい奥行きが

星座の正体かもしれない。

オリオンの脚はそこに隠れてるのかもしれない。

デザイナーさんが久々にDM作るって言ってすごい楽しんでやってくれました。

これは光を当てると螺鈿が光ります。今光ファイバーにはまってて。

ー木村さん、素材ハマりみたいなのがあるんですね。

今螺鈿の実験をしてて。本当は漆でやるんだけど、ラッカーで代用できるんじゃないかって教えてもらって。伝統工芸をすごいラフにやってます。卵漆喰※2と近いかな。自分たちができる範囲で。

お隣さんにあの自転車もらって。自転車の塗装を考えるときに螺鈿で塗装やろうと思ってこれで練習しました。

※2.卵漆喰:オトナリ珈琲実店舗の壁塗り替えプロジェクト「卵漆喰」のこと。卵の殻を漆喰にして壁に塗ります。

ー自転車がメインじゃないですか。笑 螺鈿はなにをきっかけに?

アトリエの人がいろいろと「こんな素材あるよ」って教えてくれて。螺鈿も何回か練習して。今作品でやってるのはアクリルと樹脂なんですけど。

穴を開けて縦にファイバーをいれています。大犬座と仔犬座とオリオン座が冬の大三角だから、大犬座を小さく作りたいなって思って。

ーめっちゃきれい。
作品の今回のテーマについて教えてください。

最初は「木馬と星」じゃなくて、「木馬と型紙」にしようと思ってて、途中から「木馬と星」に変わったんです。

ー最初は星じゃなかったんですね。木馬はどこからでてきたんですか?

結構前にリサイクルショップで木製品をいっぱい買ってみたことがあって。
その時の制作で木馬をずっと使わずに置いておいたんですけど、せっかく買ったし乗ってみるかって乗ったりしてたんですよ。

板きれなのに馬だってわかるんだよなぁ、なんなんだろうなぁ、って考えてたんですよ。

ーなるほど、それと星とか奥行き見たいなものがもうひとつテーマになってるんですね。

最初「木馬と型紙」でやろうと思ってた時、シルエットと立体を考えようとした時に人の体に沿う服の、平面からまるみを作ったりとかが当時は気になってたんです。

でもそれよりもアトリエにいって星を眺めたときに「星だなぁ」って思って「星おもしろいなぁ」くらいな感じで作ってた時、木馬ももしかしたら関係ある気がするなと。

ー「シルエットと立体」について考えていた時があったんですね。

輪郭と厚みのことを考えてて、「シルエット」っていう考え方がすごい気になってて。

ー「シルエットっていう考え方」?

シルエットってなんだろうって考えてて。
シルエットを考えると絶対「厚み」って気になるなって思って。ちゃんと輪郭あるんだけど、木馬に乗ると乗った人にはここ(木馬の頭部の厚みの部分)しかみえないじゃないですか。

ー厚みの部分ってことですか?

はい。ぎこぎこ乗ってる間って、乗る前に真横からみた馬のかたちを覚えてて、それを身体感覚と融合させて「これは馬だな」って思うけど、見えてる景色としてはただの厚みで。

ー乗った時には。

形の厚みと時間感覚というのを考えると星座に行きついてしまう。

ーいや話がだいぶ飛びましたね。笑 ちょっと待ってください。笑

横から見ると輪郭だけど、そこにある厚みは時間になる。それは星座と時間の話とつながるなって。星の場合、距離が時間という単位になるじゃないですか。地球から見て平面的に並んでるように見える星たちも、時間という厚みを持って関係性を作っている。木馬に乗っている体感時間もそれに近いのかなって。

ーシルエットと厚みのことを考えていたところに、星と奥行きみたいな話が繋がると。

輪郭ってこうやって(ものの縁を線に)とってるけど絶対こう(厚みも含める動き)じゃないですか。

ーすごくおもしろいです。彫刻をやってるとそう思うのかな。

暴力的だと思いません?

ー輪郭をひくみたいなことがですか?

乱暴な行為なんだけど、みんな普通にやっちゃう。でもそれはこの厚みの分の時間を消してる感じがする。別の言い方をするとその輪郭はこの分の厚みが詰まってるから、すごい夢がつまってる線にもなる。

ー幻想みたいな。架空のものって感じなんですかね。

距離。星を考える時に距離って時間だなって。ぱってすぐにはわからないけど、木馬にのってるとなんかわかる。厚みに時間が乗っているっていうのがわかる。この距離の上に時間があるっていうことが、自分の中では合点がいくんです。厚みは時間で、輪郭をとるとそこにやっぱり時間が含まれている線になる。

ーふむふむ。

ー高山建築学校※3で、「まぁ、」※4のみなさんに出会っていますよね。なんで高山建築学校に行こうと思ったんですか?

※3.高山建築学校:飛騨高山の古民家を拠点とし、セルフビルドを中心とする創作活動を実践するサマースクール。
※4.まぁ、:コロナ禍により高山建築学校を東京から遠隔でできないか画策し、生活の中で物づくりを考えるチームの名前。

自分で調べて「行こう!」って決意して行ったわけじゃなくて、豊島彩花※5が高山建築学校に行った年に「こんなところがあるんだよ、みんな見て」って仲間内にそこでパフォーマンスした映像見せてくれたんです。
「ももちゃんは絶対に合うから行った方がいいよ」って言われました。
そのちょうど1年後くらいにたまたま彩花に会ったら「来週から高山始まるから、行きたいなら申し込みなよ」って言われて、高山がなんなのかわからないまま申し込んで行きました。
そしたら「なんかすごいやばいとこだ」って…。

※5.豊島彩花:アーティスト。「身体を通して花を生ける。自然の在り方から躍りを見つける。」(HPより)https://www.sayakatoyoshima.com/about

ーすごい勇気じゃないですか?10日間の全日程行ったんですか?

よくわかんなかったから途中で帰ろうって思ったんですけど、行ってから「やっぱり全日います」って言って全日いました。

ーなんで途中で思い直したんですか?

高山建築学校は全日程で10日間なんですけど、4日とか5日とかでものを作るのって普通に無理だよなぁと思って。ちゃかしに行ったわけじゃないから、ちゃんとやるんだったらちゃんといてもいいかなと思い直しました。

でも私は高山建築学校にまともに行ったのは最初の年だけです。自分の中で大きい体験だったけど、すごい高山に行く人っていうわけでもない。

ー高山から影響受けたところってどんなところですか?

行った直後は「なんだかすごい経験をしたけど、なにかわからない。けどすごい」っていうのがありました。でも今やっている制作とかが、高山ではこう…「風景とそこにいる自分の地点」みたいなものを考えてやっていたんです。それって生活しながらも地面とか山とか空とかと自分が立っている場所っていうのをずっと考えながら立っているところと、見える景色と、その向こう、みたいに考えるのは似てるなってすごく思って。

ーそれは今まで考えてなかった考えなのか、それとも高山を経験したからよりその思考回路がクリアになっていった感じなのかどちらなんでしょうか?

絶対後者だと思っていて、高山に行ったから、よりその後も自分が普段山登りしたときに思うこととかが繋がっていったって感じ。

ーずっとそういう感じは自分の中にあって、だから豊島さんも「合うと思うよ」って言ってくれたんですよね、きっと。

そうですね。行った時は自分がなにを作ればいいか割と困ってたというか、「わからない」ってなっていた時だったので、いいタイミングで新しい刺激をもらえた。

そのあとは数日だけ行ったりとか冬高山へ行ったりとかの参加をしていました。

ー高山を経て制作になにか加わわったものというか、軸じゃないけど筋みたいなものができたような感覚はありますか?

そこまでじゃないかもしれないんですけど、もっとなんか生活すること、生きること、本当の人間の生活ってこうなのか。っていうのが体験できたのがすごいよかったですね。

ーそれって普段東京で制作していると抜けてしまったりするんですかね。
都会で暮らしていたり、日常に忙殺されていると、「生きる」みたいなこととか、水、光、土みたいなことってなんか遠ざかっちゃうなという気が私もしていて、そういう感覚かなぁ..。

普通の仕事とかして生きていると、水とか光とかが離れていくっていうようなことをちょうど今日考えてて、なんで制作したいんだろうとか思うと、一応都会にいながらも水とか光とか山とかを手を動かしていると考えられるから好きなのかも。

ー作品を作るやり方や考え方を聞けたらいいなと思っていたんですが、そうすると割と手を動かしていること自体がそういうことに繋がるのが喜びということなのでしょうか。
「喜び」とか簡単な言葉になっちゃいますけど。

でもそうだと思います。自分の手元でやっていることだけど見方とか考え方とかで、それを空と思えば「これが空にだなぁ」とかそういうのがいいなぁって思います。

ー制作を続けているそのモチベーションみたいなものとか、制作中に考えていることってそれぞれどういうものですか?

モチベーションはさっきいってたみたいに、山とか光とか水とかに飛べちゃうから。

ーということは作っているときに考えていることも割とそういうことですか?

たぶん…。直接的に山を作ろうとかではないんですけど。

ーすごいわかります。なんか地続きに「生きてる」みたいな感じですよね、たぶん。

そう、そうです。生きてるっていうような感じがその時々のいろんな思考回路の中で山を越えたりすることができる。

「自分の身体を通してものを考えたり見たりしたい」
彫刻までの道のりと制作への一貫した姿勢から見えるもの

ー彫刻はいつからやっているんですか?

大学入ってからなんです。

ーそうなんですね。彫刻の中でも「木彫」にした経緯は?

母親が武蔵野美術大学の日本画科出身で、幼稚園くらいの時からお絵かき教室に行ってて絵が好きだったんです。だからずっと絵描きになりたいって思ってました。

ーじゃぁ絵を描くのも好きなんですね。

子どものころは絵を描くのが本当に好きで、とりあえず美大っていうものに行きたいなぁって中学生くらいから考えてました。
でもなんか、絵はなんだろうな、「絵心ないよね」みたいなことを親にも言われて、「デッサンを描くのと絵を描くのは違うんだな」って。

ーデッサンが苦手ってことですか?

いや、デッサンは描けるんだけど、絵が描けなくて、たぶん私が描いてるのは絵になってないんだなぁとか思って。

中学の担任の先生が、3年間変わらない学校だったんです。
一年生の時の担任が東京藝大の日本画出身の先生で、その時は先生に影響されて「藝大の日本画に行きたい」とか言ってたんですけど、3年間変わんないはずなのにその先生が急遽退任しちゃって、替わりに来たのが東京藝大の彫刻科出身の先生だったんです。
当時「美大に行きたい」と言っている同級生がいたので、その子とふたりで「先生デッサン見てよ」って見せたりしてて。
その先生に「とりあえずお前が描いているデッサン、これは立体を描こうとしている彫刻のデッサンだから彫刻やりなさい」って言われて。
当時「彫刻家」って山の上の仙人みたいなイメージしかないから現代にいるのかよとか思ってました。笑

でもおじいちゃんちが銘木店やってるし、木彫とかやったらちょうどいいかもしれないなってとこから入りました。

ーそうだったんですね。
具体的にどうして「彫刻やろうとしている絵」に見えたんですかね?木村さんのデッサンが立体の下絵的に見えたということ?

今考えると単純にデッサンが黒かったんだと思います。墨を乗せて物量を出そうとごりごり描いてたんじゃないかなぁ。

ー「デッサンは描けるけど絵は描けない」ってどういうことなんでしょうか?

なんだろうなぁ。私は紙の中に空間作ろうとしちゃうんですけど、絵ってそうじゃなくて、もう「空間」とかなくてもその絵の中に別の意味の「世界」ができるじゃないですか、絵が良い人って。

ーそうなんですね。…私あんまりわかんないかも。私は絵画を見ている量が圧倒的に少ないので…。

私は四角の枠の中じゃなくてその奥に自分と繋がってる世界があるように感じちゃうんですけど、絵が良い人はちゃんと四角の中に世界を作るっていうのができてて。ああ私はできないなぁって思って。絵がすごく苦手なんです。

ー絵を見る時に感じる世界というのは、そこに別の世界があるということなんですね?それが自分のいる世界とは枠を越えて別物である。

なんていえばいいのかわからないけど、独特な世界をちゃんとそこで成立させてるのがすごい。

ーさきほどの「奥行きと時間」ですけど、もしかして枠を作るっていうこともそこにつながってきたりするんですかね。それとも絵画は平面だからなのでしょうか。

どっちなんだろう。なにを考えるにしても私のいる世界と地続きというか、自分の体を通してものを考えたり見たりしたいので。

ーなるほど。以前高山にいらしてたという佐藤研吾さん※の話を思い出しました。彼の作るものも、「そこ」との境界をひかないなぁと思っています。

※.佐藤研吾:建築家。一般社団法人コロガロウ/佐藤研吾建築設計事務所代表。https://korogaro.net/

佐藤さん畏れ多いんで「そうです」とは言えない…。

ー去年の展示の時に置いていたドローイング、点を繋ぐ作品は関係してるんですかね?

ドローイング
ドローイング

なんとなく関係してて、あれはあまり絵という感じではなくドローイングなんですが、今回の展示も星とか点をテーマにしてて、「風景をみて目で追う」みたいなところに繋がる行為だな、とは思います。

ー木村さんにとって「風景を見て目で追う」ことが「点を繋いでる」行為に近いってことですか?

そうです。…その感覚はあんまりみんなないんですかね?

ーわたしはないかもしれないです。

例えば高速道路で夜、ライトがあるじゃないですか。あれを点々の間をこう、手をたたいたりしないんですけどなんとなくリズムとるとかしますか…?

ーあぁ、ちょっと違うかもしれないですけど、子どもの頃、側溝の間隔をとるみたいなのはやってましたね、それを感じ取りながら歩くみたいな。

そうそう、アクションに起こすまではいかないんですけど、感じとりながら眺めるとか見るとかなんかそれ。風景見るときにもやるんですよね。

ーそれってきっと子どもの頃から絵を描いてるからそうなんでしょうね。と思いますけど違うのかなぁ。

星座を見ていても、結ぶ順番は決まっているけど、「どう結ぼうかな」みたいなことを考えるのは昔から楽しかった。

ーおもしろい。

ー今気になっていることはありますか?

やっぱり「厚み」です。

ー展示のことと関わってきますね。
輪郭を引く話と、絵ではなく彫刻をやることになった話などが全部筋が通ってておもしろいなと思っています。
「輪郭をひく」っていうことが暴力的だという感覚はすごくよくわかるんですよね。で言いたいことも、その感じもよくわかるんです。
そうすると今の話を聞いて思うのは、絵を描いていた時はどんな感覚で描いてたんだろうって思ったんですよね。

絵を描いていた時は、どうだったんですかねぇ。

模写的なこともしてました。さっき話してた「風景の中に点をとって感じる」みたいなのってちょっと「輪郭をとる」ようなことをしている。
目に映る世界を違う見方しちゃう。輪郭をとることと同じくらい暴力的な見方をしてたのかもしれない…。

ー絵を描いてる時ってことですか?

風景を点としてみたりすること。さっきまでの話で言うとそうなっちゃうんですけど。

ーあ、そうですか?私の捉え方は違います。

ー「アキレスと亀のパラドックス」※6ってあるじゃないですか?永遠に追いつかないやつ。あれと同じ理論で「点を打ち続けることは永遠にできる」って話あるじゃないですか。つまり間というのは永遠にあるという「無限」についての話があって、それに近いのかなって私は思いました。意味わかります?笑

6.「アキレスと亀のパラドックス」:ゼノンの唱えたパラドックスのひとつ。矛盾ではないという考え方もあります。

わかりますわかります。線じゃなくて点だから。

ー「間」は永遠にあるし終わりがない。木村さんはその存在をしかも2次元的にではなく捉えて打ちつづける行為をしているみたいな。

今勝手に自分で自分の言ってたことを納得しちゃった。笑

柴田さんの「点は打ち続けられる」っていうのと、絵の線が苦手な感じとなんか繋がった気がする。

ーなんかそういう話なのかなって。それはすごく木村さんの中でずっと一貫している感覚なんだな、と私は今日お話を聞いていて思いました。
ー今後の展望があれば教えてください。

大学の仕事があと1年ちょっとで終わるので、それは自分にとって大きいことだなぁと思って。定職に就かない生活して、好きなときに山に行ったり川に行ったりしながらプリミティブな生き方ができたらいいけど、そうもいかないのかもしれないなぁって。

ー生活しないといけないですもんね。

オトナリ珈琲でバイトとか必要だったら。

ーぜひ。その時は声をかけますね。

今回木村さんの店舗施工の時の様子を見ていて、「手を動かす」ということがどれだけ力のあることなのかということをしみじみと感じました。木村さんの作り出すものにはえも言われぬパワーがあり、なんだかわからないけれどそれに惹かれるところがあります。

インタビューをしてみて、木村さんの思想や考えは言葉で表現されることは少ないけれど、その作家性はとても一貫していて、これからもそのような「身体で感じて手を動かす」という態度で制作を続けられるのだろうなと感じます。

「彫刻家って仙人みたいなもの」と最初に木村さんが言っていましたが、ひょっとしたらそれに近い存在感を持つことのできる作家さんなのかもしれません。

木村桃子(彫刻家):

個展「木馬と星」

日時:2021年11月3日(水)〜11月14日(日)※月火休廊

水木金:18:00-21:00

土日:11:00〜19:00

会場:WALLA(東京都小平市仲町615−29)

木馬と星

WALLAは、大石一貴、大野陽生、前田春日美、吉野俊太郎の4名によって、2019…
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