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村上慧さん(アーティスト)

発泡スチロールの家を背負って移住をするというアーティストがいます。

2020年に金沢21世紀美術館での個展も開催した村上慧さんに、コーヒーのこと、作品制作についてなどをお伺いすべく、東京・つつじヶ丘のアトリエにお邪魔しました。

インタビュー:しば田ゆき
写真:小池りか

村上さんの作品についてはこちら→

村上慧HP
「自分の地図を書き直せ」ミシマ社ミシマガジン

コーヒーをいれるようになったきっかけ

ー今日はお時間いただきありがとうございます。
早速ですが、コーヒーをお願いします。

コーヒーいれるの怖いんですけど。最近あんまり飲んでないんだよねぇ。

ー一般的にはコーヒー豆が豆のまま出てくる人が少ないですよ。ちゃんと飲む方なんだなぁと思います。
今日の豆はどちらのお店のものですか?

これは「直珈琲」の豆。京都にnowaki※1っていうギャラリーカフェがあって、nowakiの人に連れて行ってもらって。カウンターしかないストイックな喫茶店で。

※1.nowaki:京都にある、器と本を扱う店。

ーほう。

寿司屋みたいに一枚板の茶色い綺麗なカウンターだけがあって、他の機材とかも見えないっていう感じだった気がする。行ったのはだいぶ前にそれ一回だけで、あとは豆をnowakiで買ったり人づてに買ったりとかで。

ー味は気に入ってますか?

うん、気に入ってますね。
オトナリ珈琲で買った豆も美味しかったよ。
ただ、コーヒーの味ってわかんないんですよ。コーヒーって難しくないですか?

ー「これが好き」とかないですか?

飲めるか飲めないかは判断できる。美味しいかどうかっていうのは結構わかんなくて、結果的に飲めたら美味しかったんだなって後からわかるみたいな。

ーコップが空になった時点で。

そう。「飲めたわ」みたいな。ああ美味しかったんだろうなって。
ひと口めで「だめだ」ってなるのもあるけど、美味しいコーヒー飲んだ時って美味しいってことに気づかないみたいなのある気がします。

ーそれおもしろいですね。

もっと効率よくコーヒー豆を挽けるものが欲しいんですけどね。

洗い物してる時間とか好きなんですけど、コーヒー豆挽いてるのはそれに似てるかもと今思った。「なにかにたどり着く迄のただの作業の時間」的な。精神的にいい気がする。

ちなみにこのミルは蓋が壊れてます。シールは小学生に貼られた。

ーどこの小学生に?

台東区の。これは吉原※2で「吉原芸術大サービス」っていうイベントを企画した時に、「さんかくカフェ」っていうカフェを2週間やってたんですよ。その時にこれと、コーヒーメーカーとハリオを買いました。さんかくカフェの時もこれで1人ずつ挽いてたから1杯出すのに15分くらいかかってた。

「さんかくカフェ」っていうのは、テーブルが三角形のカフェ。おれは1辺にいるんだけど、あと2辺にお客さんをいれて、各1辺に人が入るとふた組の時は1組対1組と話すと3組でむかいあわせになるから、知らない人と3組でグループになる。

※2.吉原:江戸時代に遊郭で賑わっていた、東京都台東区の一帯。
吉原芸術大サービスは2013から16年にかけて毎年開催された。

ー「三角形」を利用したカフェなんですね。

「三角形」っていうのがいいなと思って。
《移住を生活する》※を始める前は結構その人がすれ違うこととか集まって喋ることとかについての作品をいろいろやってたんですけど。《移住を生活する》からちょっと変わりましたね。

※《移住を生活する》(2014-)…村上慧さんの作品の一。発泡スチロールで作った持ち運べる家を背負って、各地で移住をする作品。

《移住を生活する 釜山金沢》(撮影:CanTamura/2018)

移住を生活する東京2020(撮影:内田涼)

《移住を生活する アトリエ菜園計画熊本》(2017)

「さんかくカフェ」
三角形のテーブルでコーヒーを飲みながら話す

コーヒー飲むようになったのは「さんかくカフェ」からかな。あんまりコーヒー飲む人じゃなかったんだけど。
家族はだれも飲まないんだよ。

《さんかくカフェ》(2013)

高校の同級生で練馬区に「さかいコーヒー」※3っていう自分で焙煎してるコーヒー屋さんがあるんですよ。阪井さんっていう友達が高校の同級生なんですけど、そのさかいコーヒーのイラストは俺がデザインしました。

さかいコーヒーのロゴ

※3.さかいコーヒー:東京都練馬区のコーヒー屋。

初めて人にお金もらって描いた絵かも。大学生の時かな。

喫茶店はなんとなく好きだったんだけど、コーヒーはそんなに飲む方じゃなかったんですよ。
甘いものを飲みにいく場所だった。パフェ食べたりとか。


ーご実家の近くに喫茶店がたくさんあったんですか?

高校が小石川高校っていう文京区にある都立高なんですけど、最寄りが巣鴨駅なんですね。巣鴨駅の前に席が広いサンマルクがあって、そこでたむろしてたのが原風景かも。


ーじゃあコーヒーを飲むところというよりは、みんなとおしゃべりに行くところって感じですか?

そうね。勉強とかしたり。


ー「さんかくカフェ」をやった時はそのような「たむろする」というイメージがあったということでしょうか?

集まるっていうか「3組」っていうのがいいなと思っていて。2人でもなく4人でもなく3人。

三角形だと自分の正面がふたりの間にくるから視線が外れるっていうのがよくて。
その視線の外し方だと仲間外れ感がないんですよね。4人で話しててひとりが話してないと疎外感あるけど、3人で話しててひとりが話してなくてもなんとなくオッケー、みたいな。許される。

形も、三角形のテーブルがいいなと思ってて。

ひとつの話題をね、なんとなく聞いたり話に参加したりしながら同じテーブルについてるみたいな感じがいいなと思ったから、三角形のテーブルがほしいなと思って、かつ通りすがりの人とかも入れたいと思って。それで場所にいる理由が必要だからってことで紅茶とコーヒーを準備したんですよね。

ー人が場所にいる理由としてコーヒーがあったんですね。

ひとつずれたところに目的を用意する

ーその「三角形」のことも含め、村上さんの活動は人との関係性みたいなことにフォーカスがあたる部分が多いような、興味あるのかなと思うのですが、その辺りは制作に関わってたりするのでしょうか。
人への興味の持ち方が少し一歩ひいているような感じがして、自分と似てるなと思ったんです。

あるねえそれは。


ーさんかくカフェも、カフェやりたいというよりは三角形と人間とのかかわりの話という2軸あるのかなと思いました。《広告看板の家》も家を作ることとあたためることと住むことがメインにありつつ、それともうひとつの軸に人間の動きとか他人の動きや関係性がありそうな感じがしました。

そうかもね。おれはコーヒー屋さんにはならなかったけど。


ーさんかくカフェはチェーン展開する未来もあったかもしれませんね。笑

興味はあるというか、ひとつのバージョンとしてカフェやってた自分もどっかにいるかもなと思っていて。

…例えば自分の友達に恋人を探してる人がいるとしてさ、その人と良さそうな相手が思いあたってふたりで会わせたいと思った時に、「いい人いるから紹介するよ」って言ってレストランみたいなところでお見合いにするよりは、もうちょっと人数増やして、バーベキューとかディズニーランドに行ってみたり、映画観に行ってみたりとか。本来の趣旨といっこずらしたところに共通の目的を作って遊ぶ。その人と向きあうためにそこに来るっていうよりは、別の目的に集まった結果同じところに人がいるって形の方が人ってこう…いい感じになると思ってるんです。


ー笑。「いい感じになる」

本当の目的はお見合いだったのかもしれないけど、ちょっとずれたところに、それとなく忘年会ひらいてみたりとか。たこ焼きとか企画して役割を与えてみたりとかね。そういう振る舞い方がすごいおもしろいと思ってた。

昔《移住を生活する》の前とか、集まって鍋やったりする作品やってたんですよね。卒業制作も鍋だったんだけど。


ー美大の建築学科の卒業制作で「鍋」ですか…?

バラックつくって、俺はそこに鍋と出汁だけ準備して。

来たお客さんに、食材持ってくれば食えますって言って。
その結果、本当に変な人が集まってくる。集まった時の振る舞い方って場に左右されるじゃないですか。
自分らしさっていうか自分の性格とか昼か夜かによっても違うし、一緒にいる人によっても違うし、だから相対的なものでしかなくて。ちょっと演劇WSに近いのかも。

平田オリザ※4じゃないけどさ、人ってたまねぎみたいなもんでむいてもむいても芯がないみたいな部分が少なからずあるなと思ってて。
俺は人と正面きって向き合うのが苦手だっていう意識があったから、場所を作るっていうことに興味あったんだよね。自分が心地よく知らない人と話す場をどうやったら作れるか、みたいなことでさんかくカフェもやってみたし鍋もやってみたし。コーヒーとか鍋とかも全部そのためのもの。

たばこもたぶんそうなんだけど。たばこ吸いに来たんですみたいな顔して話せるじゃないですか。
めんどくさい感じなんだけど、めんどくさい感じが面白いなと思ってるんですよね、たぶんね。

※4.平田オリザ:劇作家、演出家。青年団主宰。

「広告」を身体へつなげる

ー最近の作品は《広告看板の家》という名古屋と札幌でのプロジェクトですね。概要としては、広告費で家を作って暮らすってことですか?

そうですね。看板を兼ねた家を作って暮らす。
夏は冷房、冬は暖房を作ろうと思って。夏の名古屋で冷房をやって、冬の札幌で暖房をやった。

ウェブ上の村上さんの日記で、札幌では「温床」を作っていたことを拝見しました。これはどういったものでしょうか?

踏み込み温床っていう農業の技術があって、落ち葉を集めてそこに米ぬかとか鶏糞とかチッソ材を入れて、水を加えて置いておくと発酵が始まって、温度が上がるんですけど、その熱を暖房に転用するという実験を冬の札幌でやってました。調子いい時は60度近くまで上がりました。温度調整が難しいんですけど。


ー名古屋での冷房はどうやって作ったんですか?

冷房は水の気化熱を使います。タイルの壁の家ー壁に広告がシルクスクリーンで印刷してあるんですけどーそこに雨水が染み込むようになってて、壁に染みた水が蒸発すると室温が下がるんじゃないかってことでやってみました。面積が足りなくていまいちパワー不足ではあったけどそこそこ効果はあって、冷えたと言えば冷えた。


ーそれは打ち水的な考え方ですか?

そうだね。打ち水も気化熱だもんね。
ていうか汗と同じだよね。人間の。水だして蒸発する時に冷やすっていう。人間と同じ。


ーなるほど、おもしろい。それで暮らし的には可能でしたか?

夜寝る時に耐え得る温度まで下がればいいなと思ったから、それは一応達成したけど、昼はちょっと無理だったな。コメダコーヒーとか行ってましたよ。


ー昨年は京都でも作品を出されてたんですか?

2021年の10月にHAPS※5ってとこで展覧会があって。それは『広告収入を消化する』っていう作品で、これもひとくち3万円でスポンサーを3口集めて、nowakiと、誠光社※6っていう本屋と明和電機※7ってアーティストの。明和電機はなぜかのってくれたんです。

キュレーターが明和電機で働いてる人と友達で、協賛集めたいっていう話をしたら、一番最初に「やります」って返事きたのが明和電機でした。俺は全然面識もないのに。それで会いに行ったんですよ。撮影もしたんだけど。「よく協賛しましたね、ありがとうございます」って言ったら、社長の土佐さんが「得体が知れなさすぎておもしろそうだと思った」って話をしてくれたんですけど。

※5.HAPS:京都にある「Higashiyama Artists Placement Service」という組織。

※6.誠光社:京都にある本屋。

※7.明和電機:土佐信道プロデュースによる芸術ユニット。


ー素敵な社長さんですね。協賛依頼した時は自分がやってた企画を見せたんですか?

いや、自分が京都でやりたい企画。

それは、上半身はだかになって毛も剃ってここ(おなか辺り)をスクリーンにして、その明和電機のCMを流しながらご飯食べるっていう作品。


ーめっちゃおもしろい。笑

写ってる映像と食べてる映像、口元からへそのあたりまでをもう一回とって、それを夜の京都の道路にむけて投影してたんだけど。それで誠光社と明和電機とnowakiとHAPSのCMを4本つくって、その時買った食べ物の領収書とかを中に貼り出しておいて、協賛の紙とかわかるようにしておいて。

《広告収入を消化する》(撮影:青木聖也/2021)

ーご自身の関心をユーモアを交えて提示するやり方がいつも素晴らしいと思います。
最近の興味は「広告」にあるんですか?

全部、人間の体を動かすためにあるシステムじゃないですか。

どんなに遠い営みに見えても、最終的に落ちるのは「栄養」みたいな。栄養とか、睡眠とかもそうかもしれないけど、お金を稼いで最終的に人間の体に落ちていく。すべての経済的な、どんな労働にしても。

「広告」ってそこから遠いものに思えたから、それを直接繋げてみよう、そうすると広告ってこういうことやってるんだっていうことがわかりやすくなるかなと思ったんですよね。結局体を維持して動かして暮らすためにみんな働いたり寝たりしているので。


ー言われてみると「広告」ってなんかすごいけど、なんだかよくわからないですね。

最近全部広告収入じゃないですか。YouTubeもGoogleもFacebookも。

めちゃめちゃ大農園の農場主とかじゃなくて、広告収入で儲けている企業が世界的に経済を回して、世界を牛耳っている顔をしている現実がよくわからないなって。

広告見ていつお金になったのかもわからないし。

ちゃんと人が共同で暮らしている街っていうか、繋がりのなかで生きていれば広告なんていらないじゃないですか。コーヒー豆欲しいと思ったらオトナリ珈琲から買えばいいわけで、「美味しいコーヒー豆売ってます」みたいな広告を見て買うっていうのは、極論言えばよっぽど友達がいないやつ、みたいな。情報源がない人が受けるものだから、すごく体から遠いものだなっていうのがあった。

友達のいない、ひとりで生きてる人がいっぱい集まっている都市の象徴が広告だなと思うから、幻影みたいなものを体に直接栄養として落とすみたいなことをやってみたいなと思って。

《広告看板の家》もそれと同じ。京都の展示は「食べる」っていうことだけにフォーカスしたやつなんですよね。

街から熱をもらいながら生きる

ー人間の衣食住、住居とか居住の展示を見ているとやってることは全然違うけど、自分と近いこと考えていそうだなと思って見ているんですよ。食とかにも目が向くのは人間のエッセンシャルな部分がそこにあるからなのかなって気になったんですよね。

ぼく建築学科なんですけど、建築や人が住むことを考える時、たとえば暖房を作って部屋を温めようという時、部屋が何度になったかということでしか、暖房がうまくいったかどうかっていうことは測れない。

でも実際生きていると、カロリーが体の中にまだ残っているかどうかとか、朝食べた物とか飲んだ物によって体温も全然変わるし、体を動かしたどうかとか、着てる服とか、とにかくいろんな要素で暖かいかどうか、快適かどうかって変わるじゃないですか。その一要素として食べることがある。

普段あんまり食べないんだけど、札幌ではすごい食べてました。札幌は寒いから、でんぷん質のものとか肉とか、消化にエネルギーが要るものを食べて体温あげないと体が冷える。

ーそれは体感的な温度のことでしょうか?

そうですね。体感的な温度。

体が冷えるなと思ったらお腹すいてたりするから。札幌は基本的に外はマイナスだから体の熱を奪うんですよ。だから常に熱を補給しながら生きて行かないとだめで。

ごはんもそのひとつだし「温床」もそのひとつ。布団を温めるっていうのもお風呂に入るっていうのもそのひとつだった。すべてが熱を保つために。宮沢賢治じゃないけど、自分は熱っていう現象で、その熱の火を絶やさないように、”街”からごはん食べたりコーヒーのんだりお風呂入ったりしてた。

熱源が全部街にあって、歩きながらわけてもらいながら36.5度という体温を維持するみたいな。って考えると街が体みたいだなっていう話になって。

コンビニの看板「中入れんじゃん」
看板と体が同じだと思った

ー東京って広告多いですよね。東京の不思議なところ。みんな友達がいないのかな。

広告看板の家はもともとコンビニの看板を間近で見たところから始まってます。コンビニの看板って昔はもっと高い位置にあったんだけど、年々低くなってるって話があって。直接リサーチの文献をあたったわけではないんだけど、ひとつ仮説として人が上を見なくなった。

スマートフォンとかで、下か自分の目線くらいまでしか見ないから看板が高いところにあるっていう広告効果がなくなってて、結果看板が低くなってきてて、ある日コンビニの看板を間近でみた時に「でかっ」って思って。

ーたしかにたまにとても低い看板見る時ありますよね。

低いところあるじゃん。あれ見た時に「中入れんじゃん」って思って。

ー笑。

それからいろいろ思いついて、看板の家になったんですけど。

ーシンプルに物理的な話なんですね。

肉体持ってるのと同じだなって思ったんだよ。

美味しいものを食べるのは結構好きなんだけど、時々すごく邪魔になることがあって。自分がお腹が空くことが腹立たしい。さっき食べたのにもう空いてんのか。

なにか作ったり集中している時は本当に秒速でお腹が空く。だからチョコレートとかかりんとうとか芋けんぴとか、絶えずなにか食べちゃうんだけど。その肉体はどうしても持たなくちゃいけなくて、どうしても食べないと考えられないし体が動かないっていうほど重たい体引きずってる感じが、看板と同じだなと思って。

目につくためにはそこに体積を持ったものが必要で。本当は情報だけ出したいはずじゃないですか。だからスマホの広告になっているのはたぶん自然なことで。なんか無駄じゃん、でっかいビルボードとか。あの体積。維持するのもお金かかるし。

その重たい感じが人間というか自分の体に近いと思って。この世界に存在するにはどうしても物体になっちゃう。

その愛おしさみたいなのが、不器用な感じがして、すごく興味が出てきたんですよね。

ー電脳世界にならない限りは、「いる」しかないですもんね。食べ物を食べて体を維持しないと生きていけない。
体積を持つこと、「いる」ことが不器用で愛おしいという視点は初めて持ちました。

人間との関わり方

ー村上さんの作品って作っている時に、あきらかに周りの人から影響をうけるじゃないですか。そういうのって意識的に他者と交流をした方がいい、という感じですか?それとも自然とそうだったんでしょうか?

《広告看板の家》で言うと、札幌でやった時はいつもスポンサーのロゴが入った洋服を着てたから歩く広告塔みたいになってたんですよ。家にも看板がついてたから、その人はそこにはいないんだけど、その名前をいつも背負ってる意識があって。

強くはないけど、「変なことできないな」っていう縛りがあるなとロゴの服を脱いだ時に思った。「今までとちょっと違ったなぁ」みたいな。

ータレントみたいだ。

そうそう。そういう関わり方でひとつ試してみたかったというのもあって。

広告看板の家はお金を純粋にメディアにしたかったというか。関係を媒介するためだけのものにしたかった。「いっぱいあったら 嬉しいもの」とか「少なくなったら不安になるもの」とかじゃなくて、ただの人と人の媒介としてのお金を考えたいみたいな。それで広告収入をもらって関係を作って、そこで使うお金は俺が普段使ってる財布とは別の財布を作って。その財布にもロゴが入ってるんだけど。

節約の方向に向かうんじゃなくて、結構浪費の方向に向かったんですよ。
1800円のパフェとか、何回か食べたんだよね。

食べた時に「このお金は南川さんていう建築家が設計で稼いだお金だなぁ」って思いながら、南川さんのことを思いながら食べるんです。

ここに俺が払ったお金は従業員の光熱費になるのか服になるのかはわからないけど、一連の流れとしてのお金みたいなものにはすごく意識的になりますよね。広告収入で暮らすということは。

俺、バイトもしてたけどわかんないんだよね。ビアガーデンとかパチンコの清掃のバイトとかしたけど、パチンコの本社が発注した清掃業者ないし人材派遣会社の何次受けなのかわからないとこで働いてて。
もらった給料が一体どこから、まあパチンコの客からなんだろうなと思いつつ。
そこから自分までが遠いから、暗闇からお金がふって現れるような感覚。ここ(目の前)まで暗闇で、そこから札束がすっと出てくるみたいな。

今回の広告看板の家のスポンサーはいろんな企業とかお店があったんだけど、たとえば建築事務所とか出版社とか建材メーカーとか。自分に払ってる一段階前のものが分かるだけでだいぶ見通しが違うなと思って。ガラスのコーティング材を作ってる会社とかがあるんだけど、そのガラスのコーティング技術のおかげでこの5万円があって、とか、建築設計のギャラでとか、ギャラリーの売り上げで、とか。一個見えるとその前を想像できるというか。

そうすると自分の後のこともちょっと考える、っていうのもおもしろかったです。

暗闇から来て暗闇に返すみたいなんじゃなくて、もうちょっと見えるといいなみたいな。

ーうん、おもしろい。おもしろい作品ですね。

「知らないものをまだまだ吸収できると思う」

ーこれからやりたいこととか興味のあることとかはありますか。

今年は全然ないんですけど、決まってるものとしては「二人」※8っていう蒲田のスペースのサテライト企画みたいなものがあるらしく、それでなにやろうかなって今考えてる。あとは広告看板の家をまとめる作業ですね。どうなるかわかんないけどできればまた本にしたいなと思ってて、絵本がいいなと思ってる。

※8.二人(にと):東京蒲田にあるギャラリー。

ーどうして絵本が良いんですか?

絵本が一番邪念が消えるから。

ーそうなんだ。村上さんはよく文章を書いている印象がありますが、『移住を生活する』の本の分量を書くのはとても大変そうです。

書くのが好きだなって特にコロナ禍になってから気づいたんだ。だからもっと文の仕事というかそっちやりたいなと思って。小説書いたりもしてるし。

あと就職してみたいと思って。企業で働いたことなくて。

ー働きたいんですか?…無理じゃない…?笑

笑。無理かな。働いたことある?なにやってた?

ー営業やってました。誰のために働いてんだろうってすごい思ったな。

なんのために働いてんのかっていう状態に一回身を置いてみたいっていうのがある。

あと今まで事務職やったことないからやってみたいっていうのはあるんだけど。

ーいわゆるオフィスワークをしたいってことですか?組織の一部になりたい?

会社のために働くみたいなことをしてみたい。

第一が自分じゃなくて、会社になるみたいな状態。

たぶんこれも人間関係の話だけど、苦手だけど一緒に働かなくちゃいけない人っているじゃないですか。でも同じ会社にいる以上は喧嘩をするわけにはいかないし仕事をしないわけにもいかない。だからみんなうまいことやるわけでしょう?誤魔化しながら。

そういうコミュニティにいたことがないからやってみたいなと。

ー派遣とかなら見つかりそうですよね。でも人間が「会社のために」ってなるのは厚生年金と社会保険があるからですよね、きっと。

社保入って、しかも1,2年働かないとコミュニティ感たぶんでてこない。週5で1年間がんばるみたいなまずは。

ー(小池)会社のために働く人って意外といないんじゃないですかね…。生活のためとか、趣味のためにとか、個人的な理由の方が(多い)。

本当はいないかもしれないね。

お金をもらえる状態を維持するためには仲良くやってかなくちゃいけないくて、その状態にたぶん興味があるんだよね。ここ4年くらいフリーランスなんで。嫌な人とは付き合わなければいいんだけど。そういう人ばっかりじゃないよなぁって思って。文章書きたいとか言ってる以上は経験するにこしたことはないかなって。

制作に最終的に結びつくんだけどね。知らないものがたくさんあるから、それをまだ吸収できると思うから。

ー知らない世界との接点を持つことって大切なことだなと思います。

文章でのお仕事も楽しみにしています。今日は長時間本当にありがとうございました。

独特の切り口を持って社会を観測しているような村上さんは、終始柔和な語り口で作品やその周りのことを話してくださいました。勉強熱心で旺盛な好奇心とともに世の中を見る視点やその処理の方法が、いろいろ考えられている上でかつ決して冷たくない方法であることが、作家としての面白さを膨らませているのかなと感じました。

国内外さまざまな場所での活動を続ける村上さん。今後の活動も楽しみにしています。

村上慧(むらかみ・さとし)

1988年東京都生まれ。私(わたくし)と公(おおやけ)の関係に着目し、個人の生活が社会に与える影響を考察する作品を発表。近年の主な展覧会に「村上慧 移住を生活する」(金沢21世紀美術館/2021)、「高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.08」(高松市美術館/2019)など。著書に『家をせおって歩く かんぜん版』(福音館書店/2019年)『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)及び『村上慧 移住を生活する』(金沢21世紀美術館/2021)などがある。https://satoshimurakami.net/journal/