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[路端のブランチ]vol.25 いつものパン屋で始まる、ありふれたクリスマス

Column

クリスマスが好きなんだ。

なんやかんや周りの子には、クリスマスに興味がない子も結構多くて、それこそサブカルチャー的な文脈やテンションなら、踊らされないことが かっこいいみたいな風潮は少なからずある。

学校行事とか全部嫌いだったし、日本家屋でもないのに門松を飾る不格好な風習には心底うんざりしているし、それでも、年間行事の中でクリスマスだけはとっても大事。少なくとも、私には。

幼い頃から盛大にクリスマスを祝う家だったのはあるけれど、それ以上にクリスマスは家族の行事、さらにいえば日ごろ親密にしている友人やパートナー、仲間に対しての愛を惜しげもなく表現する祝祭、と考えているからだ。

ハロウィンみたいな乱痴気騒ぎとは無縁だし、正月のように自堕落でもない。かといって堅苦しい作法は必ずしも重んじられないし、その割に重要度はすこぶる高い。これはまさに、家族や仲間の間、ごく親密な仲だからこそ守られる、「お約束」なんだ。

日常的に顔を合わせている相手のこと、いつも考えていたって表立って祝福したり賛美したり、そういう機会がいつもあるとは限らない。むしろ、いつも会っているから伝えられないことが山ほどある。それを、こっぱずかしいくらいのコテコテなファンタジーを日常空間に作り込むことで伝える時間、それこそがクリスマス。

さて、そんな日常の延長にある祝祭には、いつものパン屋が作る、とっておきのシュトーレンが欠かせない。駅から線路伝いに10分ほど歩く、この街にしては小粋なベーカリー。フランスやイタリアのちょっとマイナーな田舎のパンも揃えていて、昼には気の利いた惣菜を付けたランチボックスなんか売っている店。ただ、今どきの気取った店ではなくて、品のいい、お菓子作りやパン作りが好きなオバちゃんがやっているような趣だ。

ちょっと高いけれど飛びきりうまいバケットを求めて、ワインに合わせるフォカッチャを買いに、よくフラっと寄るんだけど。クリスマス限定で並ぶシュトーレンを12月の2週目くらいに買いに行く。

「あら、今年は早いのね」

一番長い店番のオバちゃん。顔をいつの間にやら覚えられていたみたいだ。パン屋だから、寄るのは朝か夕方。話し込むようなことはない時間帯だから驚いたけど、こちらだって相手を覚えているんだから、不思議じゃないのか。未だに大して話したことはないオバちゃんが初めて話しかけてきたのは、去年のクリスマス。イブ前日に買いに来たところで申し訳なさそうな顔で言う。

「本当はね、真ん中から切って、徐々に食べていくといいのよ。少しずつ熟成して味が変わるの。あと周りについてるお砂糖がね、ちょっと溶けて固まって、層みたいになって。それがとっても美味しいの」

今年はやろうって決めたんだ。うんと薄く切って、一日おきにちょっとずつ。スパイスの香りが最初はガツンと来たのが、リキュールと溶け合って後引くように変わっていく。噛んだとき、口の中に広がる甘さが、とろけるような甘さから染み渡るような甘さに変わる。

実家暮らしだから、親も食べる。彼女とだって食べる。じいちゃんにもあげた。少しずつなくなっていくたびに、いつもの人と、味の変化を語る。同じものをいつもの人と食べる、いつもやっていることなのに、食べ物について語る時間って意外とないような。いつもの相手と話して、当日まで食べ進めていく。今年は丁度2週間、そんな調子のまま過ぎていった。

今日はクリスマス、残すは端っこの両サイド2切だ。

日曜日、時計を外す。
 そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。

 そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
 時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。   iv
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