[つまみ読む生活] vol.22 本物の味、偽物の味
「おはよう」のあなたも、「こんばんは」なあなたも、こんにちは。第22話です。
週4で会社勤め、週2で個人の仕事をする、というのが自分に合ったやり方だなと社会人3年目で気づきました。社会や法律を変えるのは難しいけれど、自分のルールを変えることなら、内容によっては1秒で出来る。誰の許可もいらない!これって、最高の事実じゃない?と思う水曜日の14時です。
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先日、柚木麻子さんの「BUTTER」という小説を読みました。
わたくし、本に出てくる食べ物の描写が大好きです。匂いも味も分からないその料理を、文章を頼りに頭の中で作りあげることに特別な快感を覚えます。
「BUTTER」では、その題の通りバターがよく登場します。文中、「落ちる」「舌先から身体が深く沈んでいく」という表現がされていて、とても魅力的でした。
物語の最重要人物は “ 美食家 ” の容疑者。彼女は「本物を知りなさい」と、食に関心のなかった週刊紙の記者である主人公にまず、エシレバターをお勧めします。事件の真相と同時進行で、食にまつわる「本物」を次々に語っていく描写が印象的でした。
そして私は、読みながら「本物」について考え始めてしまいました。
エシレバターが「本物」ならば、四つ葉バターは「偽物」なの?どこからが本物で、本物でないものがあるとして、ではそれは一体何なの?エシレバターを食べたら何か分かることはあるのだろうか、と。
早速、高級そうなスーパーに行きそれを見つけると、50gで650円くらいしました。いつもの5倍近い価格。文中で語られたように、炊きたてのご飯に冷蔵庫から出したばかりの固いバターを一欠片のせて、醤油を数滴たらしていただく。
一番はじめに、味がする!と思った。味がするって普段思わないかも。バターをそのまま食べたりなんかしたら、喉のあたりがモヤつきそうだと思っていたけれど、いくら食べてもそんな感じがしない。そういった違いと共に、この黄色い塊からは土地の匂いがする気がしました。総称としての「バター」ではなく「エシレバター」という感じ。
次に、偽物について考え始めました。
偽物という言葉をきっかけに、学生時代を思い出す。ある日突然、コンビニに並べられたお弁当やサラダが、食べ物に見えないという感覚になったのです。お腹が空いているのに、何も食べたいと思えない事にかなりのショックを受けました。
この時代、なんでも美味しくできていて品質がそれなりに良いものが簡単に手に入るから満足したような気になっているけれど、「普通に美味しい」のもっと先にある感動体験はあまりないのも事実だったりする。
エシレバターの体験から本物のヒントを得た私は、もう大人だし食事にお金をかけることを許し、ずっと前から気になっていた横浜のホテル・ニューグランドでアフタヌーンティーをすることに。そこで、ついに出会ったのです。感動するものに。スコーンです。
あのスコーンからは、湯気が出ていた。生きている感じがした。素材全ての味がした。マーマレードのジャムも、しっかりとその果実がなっている姿を思い浮かべる事が出来た……。
コンビニの食べ物がなぜ偽物のように見えたのかが、スコーンを食べた時にやっと分かったのでした。
コンビニの食品は、どれも不思議に冷たかった。電子レンジで加熱しても、冷たかった。
出汁巻卵は、確かに生きていた本物のニワトリから生まれた本物の卵であるし、おにぎりは、どこかの畑から収穫された本物の米。なのに、その事実がとても遠くにあって繋がらなかった。プラスチックで覆われていて匂いが全くしないとか形が全て同じだからというのもあるだろう。
当たり前だけど、食べられるものは全て本物だ。「これが本物!」だとか言って差別することは正直好きになれないけれど、私なりに考えた結果、
その食べ物が、かつて生きていたものであったことが想像できるかどうか
という事が、感動体験の中身なのかもしれない、という答えにたどり着きました。
これからは積極的に温度と味をちゃんと感じるものに出会っていきたい。
サプリメントで済まされる未来にならないことを願って。
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