ivy

[路端のブランチ]vol.20 よそって、啜って、そのまま風呂場まで

Column

すっかり肌寒くなってきたら、恋しくなる。母親の豚汁が。

実家暮らし、それなりに料理をする方ではあるけれど、私の方が仕事で帰りが遅い日は母親が飯を用意してくれている。外に冷たい風が吹き始めた頃、台所からごま油で豚肉と根菜類を炒めている香りがしたら、その日の晩飯は確定だ。カツオ出汁で合わせ味噌。おかずと汁物兼用なので、山盛りご飯と豚汁だけで完結する。

「主賓」は、特売の豚小間切れ肉なこともあれば、しゃぶしゃぶ用のやたらデカい肉なこともある。ほかの具だってその日に高い野菜はスキップ。とりあえず豚肉が入っている味噌ベースの汁物であれば、豚汁だ。

この頃繁華街で、やけにしゃれた店構えで豚汁を出す店が流行っているみたいだけど、なんでわざわざ外で食べるのさ、ってね。めかし込んだ若い男の子がバッチリメークの女の子と一緒におしゃれな豚汁やに並んでいるのとか見ると、ついつい笑っちゃうの。勿論、心の中で。

味は勿論、とっても大事。ただ、それと同じくらい「暖をとる」意味合いが大きい。これは肉体的にも、精神的にも。余はこたつで足を延ばしているようなさ、中学のジャージで寝っ転がっているようなさ、そういう「暖まり方」を愉しむものだと思うんだ。

夏場はシャワーだけ派だけど、9月も終わると湯船に浸かりたい。風呂が沸くまでにササッと食べて、身体も心も冷めないうちに風呂へ行きたい。

一度だけ、豚汁を食べに、真新しい専門店へものは試しと行ってみた。広くてきれいなカウンター、ゴロゴロ季節の野菜が盛沢山の目にも鮮やかな椀が供されて、豚肉はほろりと軟らかく、ご飯も土鍋炊きで艶やか……すこぶる上等なものだった。きっと、明日来ても、明後日来ても、見事な具や器、出来栄えは変わらない。ただ、それはどうしても「よそ行き」の味なんだ。こたつで足は延ばせない。こたつの中でも正座をしているだろうし、こたつから一度冷たい風に当たって、うちに帰らないといけない。ちっとも暖がとれないじゃないか。

毎度ちょっとずつ味や具が違うのに、なぜかそこに郷愁めいたものを感じてしまう。そんな家の豚汁は、ほぼ一日として、モノが同じ場所に鎮座しない、実家の居間みたいなもの。

もはやそれは空気であり、血であり、肉であり、己の一部となっている替えが効かない「感覚」の表出だから、仕方がない。

一晩じゃ食べきれなくて、肉が硬くなった残りを食べる翌朝、改めて。

「やっぱり、これがいい」

日曜日、時計を外す。
 そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。
 そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
 時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。   ivy