ivy

[路端のブランチ]vol.8 カレーライスのクラシック

Column

シンプルなカレーライス、こんなに魅力的な食べ物はない。

帰り道、どこかの家からカレーの匂いがしたり、社食で急に食べたくなったり、やっぱりスキー場で食べるのがよかったり……特定の店で食べる○○ってくらい、解像度が高いのもいいけれど、それよりカレーライスを食べる、ということ自体に幸福体験がある。だから、こういうふとした時に浮かぶような、絶妙なポジションにあるのかなあ、と。

やはり「無駄がない」というのは、すごくよさそうに思える。実際に間違いがないし、比較的いつの時代も人口に膾炙する。ただ、これにも二つあるように思う。

ストイックにいかに不要なものを見つけて削ぎ落とすかを美学におくものと、必要なものを守り続けてきた結果あれこれ加える必要がない境地に達したもの。

前者はミニマル、後者はクラシカル。

外神田が誇るカレーの名店、ベンガルのカレーは、無駄がない。ただ、徹底的に削ぎ落とした、というよりかは、必要なものが必要な場所にはまり、これ以上ない共存をしている。

まさにカレーのクラシック。ベンガルより古いカレー屋さんは神田にもいくつかある。ただ、美学として、その在り方がクラシックなんだ。

シンプルな中にも明確な拘りを感じるし、かといってこれ見よがしにそこだけが主張するわけでもない。スパイシーでプリップリなチキンとシャバシャバめのまろやかなルゥ。どちらも欠けてはいけないし、どちらかを尖らせるより、あくまでカレーライスを構成する要素として共存させる。

山盛りのライスにカレーの湖。底深なカレー皿に創り上げられた景色は、いつ訪れても変わらない。在宅ワークに行き詰まり、腹の虫が音を上げる頃。それは、脳裏に浮かんでは消える、幼い頃の思い出のように。

寒い日も、暑い日も、晴れの日も、雨の日も。

クラシックなカレーライス、それは、僕らの心の故郷、かもしれない。

[路端のブランチ 序文]

 日曜日、時計を外す。
 そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。
 そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
 時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。   
ivy