[つまみ読む生活]vol.14 食べる出す、読む書く
「おはよう」のあなたも、「こんばんは」なあなたも、こんにちは。第14話です。
今日は12月31日、大晦日です。12月になったと思ったら、すぐクリスマス。
クリスマスが終わると、残りカスみたいな何日間を「早く終わってしまえ」と思いながら過ごし、31日になったら、焦って今年あった事を振り返り、少しセンチメンタルになったりしていました。1年という区切りがあってよかった。
区切りがあると、その先にあるものを見ることができる気がします。何年も先のことを考えるのも大事だけど、1年1年を生き抜いていれば良いんだと、最近はそう思います。
生活リズムが崩れて、日付が変わっていることにも気づかず1日を18時間にしたり27時間にしている私ですが、大晦日と元旦の間には、いつもと違う何かがある気がして、その正体を見つけようともがいている、木曜日の21時です。
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さて、今回はほとんど本の話。6月から始めた読書記録は140冊を迎えました。
これは月平均23冊も読んでいるということになります。もともと本を読むのは好きだったけど、この半年間は、今までの人生でいちばん、文字を吸い取りまくる日々を過ごしました。
そして、本を読み始めたのは、この連載エッセイ「つまみ読む生活」を始めた時期でもあります。
ライターのような事を始めた私は、「何かを書くには、その10倍は読まなくてはならない」と思ったからです。
80冊を超えてきたあたりから、読書に対する感覚の変化が現れ始めました。
それは、「知識や視点が増えていくよりも、自分の中にある一本の線のようなものが濃くなっていく」という感覚です。
好奇心の塊のようになって、人体のことや環境のこと、ジェンダーのこと、名著と言われているもの、新書、絵本、図鑑、流行りの小説、レシピ本、詩、エッセイ…。
なるべく広く、色々な種類の本を選んで読みました。1冊1冊、もちろん異なったことが書かれているのですが、それを読み取るのは、結局、私の体1つだということです。
ドバッと入り込んで増えていった知識や感情は、川のように多方面から押し寄せ、この一つの体という海のなかで合流していきました。
半年前と何が変わったのかを考えた時、「本を読んで何か変わったことはなかった」というのが私なりの答えでした。
本を読む行為は、途中から、「もともとある考え方や常識や信念の説得力を強めるための作業」のようになっていきました。
もちろん、何度か今までの常識をぶち壊すような文章に出会ったりもしました。
その都度、考え方のアップデートはしているつもりでしたが、大枠に変化はないのです。結局体の中に入ったら、私を変えるものではなく、補強するものとなるのでした。
それは読書だけではなく、全てに言えることなのだと思います。
「つまみ読む生活」という名前の由来も、今回書いた内容とほとんど近いものがあります。
私は、読むことって、食べることと同じだと思っています。
「特にエッセイは、私の日常を誰かにつまみ食いされているようだな〜!」と思ったことをきっかけに命名しました。とっても気に入っているタイトルです。
このエッセイを通して、13話もの食べ物に関する記事を書かせていただきました。
食べ物は、口から胃に入り、やがて排出されますが、栄養と共に思い出や、感じたことは体に残ります。
そして、文章という形でそれらがまた外に出ていく時、私の体を通したからこその好みや癖がついてしまう。
それがオリジナリティであるのだと、書き続けて気づきました。
これからも、たくさん食べて、たくさん文字を書いて、また次に訪れるであろう新たな発見を楽しみにしながら、続けていけたらいいなと思います。
来年も、どうぞよろしくお願いします。
今回はこの辺で、ごちそうさまでした。
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