ivy

[路端のブランチ]vol.19 カツとカレー、冒涜の美学

Column

子どもの頃、積み木で「お城」を作っては、それを自らぶち壊すのが大好きだった。大人が目を丸くするくらい見事な出来栄えであればあるほど。

適当に拵えたものは壊す楽しさがない。台無しにする感触がまるっきし違う。手応えとでもいおうか。もしかしたら壊すとき、あの何ともいえないしかめっ面が見たかったのかもしれない。

完璧なプレゼンを本番5分前にめちゃめちゃにしたら気持ちいいだろうなと思うけれど、実行した瞬間の周囲がする慌て顔を想像したらにちゃけてくるけれど、積み木の数倍「お片付け」が億劫で遠慮してしまう。

さて、今ではそれが、とびきりのトンカツをカレーでひたひたにする、「台無し」にすることで時折欲求を満たす。衣がサクサクじゃなきゃいけない。中のお肉だって、しっかりと赤身と脂身両方あっ て、肉汁がしっかりと出るやつがいい。

あいにく、中がうっすら桃色で(勿論、生焼けじゃない)肉厚のトンカツを出すような高級トンカツ屋はそんな冒涜を許してはくれない。じゃあカレー屋はどうか、って。これまたガチのカレー屋では、 トンカツなど付けなくても商売をやっていけるんだろうか、あまり見かけない。

ベストな選択肢は、「カツカレー屋」になる。大抵、カウンターと食券機しかない、シンプルなポークカレーはワンコインで、メニュー数も少ない殺風景な店だ。

一見なんてことない、学食みたいなカレーだけど、知っているんだ。家の近くのこういう店は、ずっと仕込みをしている。長時間煮込んで、学食のカレーとは深みが違う。シチューみたいな、とろけるようなまろやかさがあって、殆どクリーミーといっていい。だから、カレーだけで食べたって充分 に満足できる。

そんなルゥに浸されるトンカツは、これまた完璧だ。サクッとしているし、赤身のしなやかな弾力とのコントラストが満腹虫垂にジャストミート!これがキャベツの山と白飯、赤だしと出て来たら歓喜の瞬間、ハッピーエンド間違いなしだ。

それをすんでのところでカレーに浸して、「台無し」にする。幾分か損なわれたサクサク感を楽しみつつ、クリーミーなルゥと共に頬張る。何か大切なものを犠牲にしている気がするんだけど、結局これが一番旨いんだから。

冷凍の揚げ物を適当なカレーに付けて、それぞれの適当さをごまかすようじゃ、カツカレーの「冒涜」としての快楽を味わえないじゃない。罰当たりな旨さが溜まらんのよ。両方全力で、これ以上ない出来で初めて成り立つんだ。さあ、今日もきつね色、コンガリ揚がったトンカツを、カレーの沼に突き落そう!

日曜日、時計を外す。
 そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。
 そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
 時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。   ivy