[嘘のたべもの]vol.2
りんごを信じるか、信じないか?
目の前にりんごがある。あなたはそのりんごを、信じますか?
8年ほど信州しなのの国に住んでいたので、りんごというのは身近にあるくだもののひとつ。それに、幼い頃かなり病弱だったわたしが体調を崩すたび、母はすりりんごを作って食べさせてくれたっけ。
りんごの思い出はこの辺にして…といいたいが、東京にきて一番嫌だったことのひとつにりんごのクオリティの低さのようなものがある。ある程度根に持っているのでいわせてほしい。
東京で買ったりんごがどれもおいしくない。ぼやけている。
上京してしばらくののち、ここならいいだろうかと思ってピーから始まる価格帯が高めのスーパーに行った際、そこで購入したりんごもモサっていた。
ここでもモサっている。東京のりんごは全部モサっているのだろうか。
当時お金があんまりなかったので、わたしはキレ、SNSで散々りんごの悪口を言った。
結局そのりんごはバターで焼き、加工することによって怒りの気持ちを抑えることに成功したのだった。
怒りを前にしたとき、人はじっと耐えるか、諦めるか。あるいは、工夫するしかない。
あるとき、元アルバイト先の牧師さんが言っていた。
「ひとは椅子に座るとき、その椅子を信じているから座るんです。それもひとつの、信仰です」と。
りんごを買うときも、おのずから信仰のようなものがめばえているのかもしれない。
りんごを信じますか。
あるいはそんな問いかけをわざわざしているかはわからないくらい、無意識に。
買うか、買わないか。モサを気にするか、しないか。
きょう久しぶりに、そんな信仰心の存在に気づくシーンがあった。まいから始まる比較的庶民向けのスーパーで買ったりんごセットがとてもよかったのだ。
信じるものは、救われる。
そのことばの裏には、数々の裏切りや失望が渦巻いているのかもしれない。
1つのりんごを前にするたび、
くちびるを寄せるたび。
わたしはいまも、毎回どきどきどきどきしています。
[嘘のたべもの]
名前:づ
手間を掛けずに栄養をとりたいと考えている。
げんきなときと、そうでない時がある。
謎犬愛好家です。