[路端のブランチ]vol.24 ピザと普遍的快楽の話
「最後の晩餐」を決めるなら、絶対に入らないけれど、死ぬまでに3日あったら必ず最初に食べるような気がする。
私にとってピザは、そんな存在だ。それも、宅配とかアメリカ系チェーンにあるような、ギトギト、肉々、ツナツナ、チーズチーズしているやつ。
さて、大学時代を過ごした吉祥寺の街へ、今でも時折足が向いて、昼飯を食ったらぼーっとするだけの日を過ごすのだけれど、高確率で、昼飯はピザだ。
駅を出て、住宅街へ歩みを進めるとある、老舗のピザ屋。店構えは、ピッツェリアというより、アメリカンダイナーと昭和の喫茶店を足して2で割ったようなセピアでサウダージな趣がある。ダクトから漏れ出す芳りも、オリーブオイルやトマト、バジルではなく、喫茶店のピザトーストみたいな、満腹中枢をダイレクトに挑発してくるような圧がある。
レトロ、とかエモい、とかそういう文脈に載せられなくはないが、そもそも腹ペコ大学生には少し贅沢な気分を味わいつつ、プライベートな時間とリーズナブルな会計を満喫できる貴重な存在であったことが何より大きい。
お気に入りは、ミックスピザ。文字通り色々な具が混ざっていて、これでもか!と生地が見えないくらいにチーズを載せて焼き上げた一品。まさに、これこそ、死ぬ三日前に最初にかじりつきたいやつなんだ。
長い年月を経て、すっかりススまみれのフライパンみたいな色になったダイニングテーブルには、のっぺりしたチーズの塊が分厚い皿に載ってドカッとくるのがやけに絵になる。重量感満載な絵ヅラは、ダクト以上に挑発的だ。
余計な能書きはこのへんにして、朝飯を抜いた日曜日、トロトロ出てきた吉祥寺で昼の2時くらいにようやくありつけるここのピザは、おそらく世界一旨い食べ物だと断言できる。
この快楽、死ぬとわかったら色々考えるより前に味わっておかなくちゃね。大学時代の終わり、もう吉祥寺に来なくなるかもだから、と友人を連れてこの店を訪れたが、どういう訳か今、この頃もこうして同じテーブルに座り、同じピザを食っている。
結局、空腹時に欲する味は、多少大人になれたつもりでも変わらないということか。それはある種の普遍だ。
ほら、窓際を見て。揚げ物を見ただけで胃痛になりそうな老夫婦が一心不乱にミックスピザへかじりついているじゃないか。
死ぬ前だってそう。間違いなく、死ぬ三日前でも腹が減る。そこで欲する飯は、普遍だ。
日曜日、時計を外す。
そろそろ昼飯を食っておこうとか、もう帰ろう、とか考えることすら億劫だ。あまりに遅刻癖が治らないから、仕方なく間に合わせのチープカシオを平日だけつけるけれど、基本的には時計を見られない。類は友を呼ぶというが、周りもそんな輩が不思議に多い。
そういう奴らと遊んだり、野暮用を済ませたりすると、自ずと昼飯はグダラグダリとしてしまう。開店前に並ばなきゃいけない飯屋に休みの日を使ってわざわざ行くなんて、僕らの頭には浮かばない。
時間を気にせず、その時いた場所でサクッと食うメシが一番だ。 ivy