[嘘のたべもの]vol.5 8時にモーニング

Column

「朝がいい、って自己啓発本に書いてある言葉でしかぼくは知らなかったんですけどね。椎名誠とその友達の絵描きが早朝に絵を描いていた、その後ろ姿は神々しいものだったらしいですよ。」

「無職の友」というのは、なんだか良い。

大学の後輩、というより友人が、そこそこ近所の場所に引っ越して来た。
近さでいうと、電車で数駅くらい。

その友人から、前の晩に連絡がきたのだった。
「失業申告の関係で、ハローワークの人が『働いたりした日』というワードを連発していて」それがおもしろくって「ずっと下向いて震えてた」んだそうだ。最近昼夜逆転しているのだそうで、じゃあ明日モーニングでもしないかと雑な提案をふっかけてみた。

「あした目覚めたら連絡くれないか!ぼくが起きてるか確認してくれ!」

この人は平気で4時間近く遅刻をしたこともあるし、わたしも朝はめっきり起きられないから、多分実現はしないでしょうとタカをくくっていたが、翌朝「めざめた」と連絡してみるやいなや、間髪を入れず「おはよう」と返って来た。まさかと思いながらしばらく布団でゴロゴロしたのち、
「二度寝してる?」
と様子をうかがうと、
「風呂に入ってました」
との返答。
なんと、風呂に入ってしまっている。
出かける支度をしているのか。
わたしはひどい低血圧なので寝起きは本当に本当に気持ちが悪いのだが、これは待ったなし。「ウッウッ」と言いながら支度をし、ヨロヨロとした足取りで喫茶店へ急ぐ。


約束の店に入ると、誰もいない。
虚空に響く「いらっしゃいませ」。
トイレから出てきたサラリーマンのおじさんと目があう。
あ、誰かいたね。

「もしもし…?今お店に来たけどね…?」
小さな声で電話をかけてみる。
「ああ、今店に来たんですか?あっすんません、違う店です、ぼく今違う店にいます。でもなんだかかなりいい場所なんで。見つけちゃいましたッ。」
電話口からは、ニコニコと調子よさそうな笑い顔がはみ出していた。

約束の店だったはずの場所から少しばかり歩くと、友人はその「見つけちゃった店」の前に立ち、こちらへ向けて両手をふっていた。こぢんまりとした場所で、喫茶店ではなくてカフェ。
「すんません!駅を出て歩ってたらね、違う店に来てしまいました。」
悪びれのない、電話口で聞いたのと同じニコニコと調子よさそうな笑い顔。

モーニングセット(ツナ味のホットサンドとアイスコーヒー)を頼んで待つ間に友人は手元の本、林芙美子の「浮雲」をぱらぱらとめくる。

「この角川のシリーズな、好きじゃないねん。でかい。」
本の内容には言及せず、ずっとサイズのことばかりを言う。
「なんか、ぶかぶかやねん。」
何がだろう。

無職の暮らしぶりはどうか、と訊くと
「うん調子ええですよ。ずっと『プレミア』やってるね。まだ全然基本操作やけど。四小節でカット、カット。」

映像を作る仕事を学んで家業を継ぐべく、ついこの間電動工具メーカーの営業職をやめた彼は現在無職。はた目には随分のん気そうだ。この人はほんとに大抵調子が良さそうで、いつもくすくす笑っている気がする。
長いこと深刻そうな顔とか、することあるのかしら。

「引っ越した部屋もねぇ、プロジェクターを調整中。これからもっと良くなると思うで。あと棚がくるからね、ようやく片付けます。そしたら、段ボールが潰せる。今もね、汚いけどべつになんとか住めてしまってるから、いけないですねえ。」

「もうすぐ洗濯機も来るし、そしたら調子良いですね。あ、あのねコンロ買ったんです。業務用のいかついやつ。めっちゃかっこいいですよ。しかもすごい安かったんです。五徳がね、めっちゃぶっとくてね、こんなん!火力も申し分ない。中華鍋、買っちゃおかな。でも業務用やから、接続ができないんですよ。なんかね、太さ?が合わない。やり方がわからへんねん。これガス漏れるやん?って。だからね、飾ってます。めっちゃかっこいいからね。これメーカーに電話とかして取説とかもらわな、わからへん。完全に手が回ってないね。ちょっと今、見るのもいややね。」

手が回っているとか回っていないとかそういう話ではないような気がするのだけど、わたしもいろいろなことに「手が回っていない」ので「そうだよねえ、回らないよねえ、手。」と思った。

今読んでいる本の話や、共通のおもしろい友人の話など、朝からたくさんわらったり「へー」とか言ってみたりするのは結構面白いな。この時間が「まだ朝」だという余裕が、何でもない会話にはずみをつける。

時間が来たので、
「仕事にいかなきゃな。」
と立ち上がると、友人は
「そうですよねえ、見送ります!」
と言い、椅子に座ったまま私の方を向いて、元気に
「じゃっ、また!」
と言った。

[嘘のたべもの]

名前:づ
手間をかけずに栄養をとりたいと考えている。
げんきなときと、そうでない時がある。
謎犬愛好家です。